田んぼと治水
水を確保するために作られた溜め池や用水路、
多くの知恵や工夫が活かされた
水路橋や地下ダムなど。
先人たちが苦労して作り上げた「水の道」について、
関わった人々の思いや物語とともに紹介します。
ENTRY記事一覧
大正13年、泥炭地に打ち込まれたツルハシの力。国づくりを支えた北海幹線用水路
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米作りに挑戦するために必要だった「北海灌漑(かんがい)溝」
明治時代、北海道では米作りは「不適」とされていました。そんな極寒の原野を豊穣なる穀倉地帯へと変えたのが、人力によって成し遂げられた北海灌漑(かんがい)溝(現・北海幹線用水路)の開発だったのです。
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北海灌漑(かんがい)溝の建設に立ちはだかる数々の苦難
友成仲が率いる北海土功組合は、北海灌漑(かんがい)溝の建設に着手します。赤平市から南幌町を結ぶ約80kmの大規模水路の工事には、さまざまな困難が待ち受けていました。
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米作りを支える北海幹線用水路の役割
北海道空知地域の米作りを支える「北海幹線用水路」がどのような役割を果たし、どのように管理されているのかを知るために各地を巡りました。
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北海幹線用水路を使って米作りを続ける農家の挑戦
北海道の中央部に位置する空知平野では、専業農家を主体に大規模で生産性の高い農業経営を展開し、 食料基地・北海道の中核を担っています。
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夢を捨てない久米島農業人に神が味方したカンジンダム
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久米島での米作りと干ばつの歴史
もともと米の島として稲作が盛んだった久米島ですが、今は米作りが衰退し、収益性の高い作物への転作が増えています。 転作による水不足を解消するべく建設された、世界初の地表湛水型地下ダム「カンジンダム」が与える影響をレポートします。
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水を確保するために建設されたカンジンダム
干ばつの多い久米島において、収益性の高い作物を作るために必要だったカンジンダム。そのダム建設の裏には、あるさまざまな困難がありました。
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棚田によるカンジンダムの水質浄化作戦
既存の地下ダムでは、生活排水による富栄養化により水草などが大繁殖する問題が発生していました。カンジンダムでも同じような問題が起こらないように、棚田を作ることを提案されました。
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久米島農業の未来
久米島農業に多くの水を供給できるようになったカンジンダム。それでも、解決していかなければいけない問題も多い久米島農業の未来について、お話を伺いました。
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稲作限界標高1,000メートルでの挑戦を支える白樺湖の美しい素顔
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冷害を克服した、農業用温水溜め池「蓼科大池」
稲作の限界標高に位置する長野県・八ヶ岳の白樺湖エリア。農業用水が冷たいため思うようにお米が収穫できない地域でしたが、それを克服するために築造されたのが、農業用温水溜め池の「蓼科大池(後の白樺湖)」でした。
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リゾート地として発展した白樺湖
農業用温水溜め池として築造された「蓼科(たてしな)大池」は、観光や漁業の分野での期待も背負いました。しかし、観光業の発展が別の問題を生み出すことになったのです。
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観光産業から、こだわりの米作りへ
白樺湖の築造から、観光産業の隆盛へとつながり、白樺湖エリアの農業は大きく変化しました。この地の農家の方々と関東甲信クボタの営業所長にお話を伺いました。
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農家が語るこれからの白樺湖のお米
お話を伺った農家の磯司さん、清幸さんは、できるだけ昔ながらの製法で米づくりをされています。どうして、昔ながらの製法にこだわるのか、理由を聞いてみました。
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17才の少年の瞳に映った幻 空の水路・通潤橋
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渇いた台地を潤わせた、空の水路
阿蘇山の裾野、熊本県上益城郡山都町に全長75.6m、「通潤橋(つうじゅんきょう)」という日本最大級の水路橋があります。農業用水はおろか、飲み水にも困っていた白糸大地を潤わせたのは、17歳の少年が描いた夢だったのです。
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幻が現実になった通潤橋の落成
巨大な連通管を作るための挑戦、莫大な建設費用と労働力の確保など。布田保之助が夢見た「通潤橋」の落成までには、さまざまな苦労がありました。
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今に続く通潤橋の恩恵
今もなお、現役の水路として田畑に水を送り続ける「通潤橋」。水の恩恵を受けながら農業を続ける農家の方に、通潤橋への思いを伺いました。
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語り継がれる布田保之助の水への思い
水不足に苦しむ8ヶ村の村人800名を救うため、2万7千名以上のマンパワーを投入して通潤橋を築造した布田保之助。彼はなぜ、800名を豊かな土地に移動させずに、あえて通潤橋の築造に踏み切ったのか。その理由を探ります。
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稲作2000年の地の心が守る 宇和町の水と風景
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宇和町の稲作の歴史
愛媛県西予市宇和町は、2000年以上前から米作りを続けてきた地域です。古くから水不足に悩まされていましたが、溜め池の水路網を張り巡らせるなどして対策をしてきました。米どころの伝統を受け継ぐべく努力を惜しまなかった宇和町の人々の、米づくりに懸ける思いに迫ります。
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水不足の地の奇跡となった、観音水
水不足で悩んできた宇和町。しかし、一カ所だけ、その例外と言える水があります。それが戦国時代、水不足のこの地に観音さまがくださったと伝えられる「観音水」です。
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農業用水リサイクルシステムなど宇和町の新しい取り組み
2006年春、県の基盤整備事業によって宇和町の水事情は一変しました。農業用水のリサイクルシステムが確立し、少ない水を効率的に活用できるようになりました。
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宇和町に残る伝統とこれから
時代の流れとともに、昔ながらの田んぼの風景は少なくなっていきます。しかし、宇和町では、農業推進を第一に、米どころとして田んぼのある昔ながらの風景を守り続けてきました。
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