
水不足に苦しむ8ヶ村の村人800名を救うため、2万7千名以上のマンパワーを投入して通潤橋を築造した布田保之助。彼はなぜ、800名を豊かな土地に移動させずに、あえて通潤橋の築造に踏み切ったのか。その理由を探ります。
水への思い、人へのやさしさ

山都町を訪れる前に、ある疑問がありました。布田保之助はなぜ、白糸台地8ヶ村の人々を移動させなかったのかということです。江戸時代、村を捨てる逃散(ちょうさん)は禁じられていましたが、新田開発を目的とした矢部郷内部での移動は許されたのではないでしょうか。年貢の増加にも直結するはずです。また、800名を救うために2万7千名以上のマンパワーを投入したと伝えられていますが、やはり800名が移動した方が合理的だと思えます。この点について、通潤橋史料館・アドバイザーの石山さんにお話を伺いました。
石山信次郎さん
通潤橋史料館・アドバイザー
山都町の石橋を守る会
山都町での出来事です。お話を伺った翌日、休日にもかかわらず、石山さんが撮影ポイントを車で案内してくださいました。放水の無い農繁期だったので、撮影ができないため、放水の写真の貸し出しをお願いすると、快く承諾してくださっただけではなく、「放水の写真なら通潤山荘の支配人のほうが撮影が上手です。もう、話はしてありますから」ということで、紹介してくださいました。
通潤山荘の支配人さんを訪れると、やはり笑顔で快諾、翌日にはメールで送付してくださいました。布田神社や通潤橋を案内してくださった村上さんは、「お、あそこに山藤が咲いてる、見てごらん、美しいなあ」「いまのはね、カジカガエルの鳴き声ですわ。きれいな声やなあ」と教えてくださいます。道の駅の食堂でコーヒーを飲むと「ああ、おいしいなあ」と。そして、別れ際には「またおいでや」と笑顔で声をかけてくださいました。


ふと想像の翼がひろがりました。この地の方々のやさしさは、昔も、同じだったのではないかと。蛇口をひねると飲める水が手に入る私たちと、当時の農家の人々では、水への思いは違うでしょう。『白糸台地は水に困り果てている。助けてあげたい』。それは長年にわたって、周囲の村の人々のやさしい心に刺さったトゲだったのではないでしょうか。そこに、天才・布田保之助、天才・丈八が同時代に出現した。「もしかすると…」という希望の光。その光のもと、2万7千人以上の人々が「こぞって」参加し、心血を注いで完成させた。それは水への思いと、人へのやさしさが生み出した奇跡の水路だったのではないでしょうか。通潤橋はいまも私たちに、その物語を語りかけているのかも知れません。


この写真は、石山さん、通潤山荘の支配人さんからご提供いただいた通潤橋の写真です。お楽しみください。最後に、石山さんの言葉を紹介します。






通潤橋データ
住所:熊本県上益城郡山都町下市
建築年:嘉永7年(1854年)
建設者:矢部郷惣庄屋 布田保之助
石工:宇市・丈八・甚平
長さ:75.6m
幅:6.3m
高さ:20.2m
「通潤橋」は、昭和35年(1960年)2月9日、国の重要文化財に指定されています。
「通潤用水」は、平成18年(2006年)2月3日、農林水産省の疏水百選に選定されています。
「通潤用水と白糸台地の棚田景観」は、平成20年(2008年)7月28日、国の重要文化的景観に選定されています。

通潤橋史料館
〒861-3513 熊本県上益城郡山都町下市182-2
TEL.0967-72-3360
布田保之助や石工たちが通潤橋架橋に賭けた夢を知ることが出来ます。館内には、仕法書や実物の石管の紹介をはじめ、通潤橋の仕組みが分かる可動模型や工事を再現したジオラマ、再現映像の上映などがあります。なかでも、200インチの大画面で見る通潤橋の放水映像は圧巻です。

通潤山荘
〒861-3661 熊本県上益城郡山都町長原192-1
TEL.0967-72-1161
九州中央やまめ街道に位置する山都町の宿泊施設。清流・緑川で育った「やまめ」と自然の食材をふんだんに使った田舎料理、露天風呂を一度に楽しめる「かたひじの張らない」お宿です。支配人さんの撮影による通潤橋の四季折々の美しい絵はがきは旅の記念の、またお土産としても好適品、おすすめです。
http://www.tsujun-sanso.jp/