スペインのお米を育んだ「米のゆりかご」

スペインのお米を育んだ「米のゆりかご」

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レストランを経営しながら米作りをするマグロナールさん、小さい頃から米作りを続けてきたガルシアさんなど、バレンシアでの米作りにはさまざまな思いがありました。

(※2017年9月に行った取材に基づきます)

「米作りが好きですし、必要なんです」

街中のバル
飾られている農具

スペインの人々は、会話を交わすのが好きです。例えば、バルに入っても、カウンターのあたりに集まっておしゃべりをし、情報交換をしています。バルには農具が飾られていました。

スマートフォンで田んぼを見せてくれるマグロナールさん
田んぼを管理するマグロナールさん

マグロナールさんの田んぼは8ヘクタールで、米作りだけでは黒字にはならないそうです。

ラウル・マグロナールさん
ラウル・マグロナールさん

マグロナールさん:「田んぼには、EUから補助金が出ます。今年は、1ヘクタールについて1,100ユーロでした。米作りに、補助金とレストランを併せて経営を維持しています。常にさまざまな情報を入手し、経営計画を立てています」

マグロナールさんは最近、田んぼを買い足したそうです。

ラウル・マグロナールさん

マグロナールさん:「パエリア用に、ずっとジャポニカ米を作っています。友人たちは、私が趣味で米作りをしているように感じているかも知れません。好きだからというのもありますが、必要だからです。8km先のソイヤナの生まれですが、ここで結婚し、愛着のあるこの地で生涯を過ごしたいと思っています。最近、田んぼを2ヘクタール買い足しました。
お米を作っていると、四季で景色が変わります。美しいですね」
バレンシアの中央市場
バレンシアの中央市場の内部

バレンシア中央市場でのお米の販売価格は、1kgで1.15〜3.50ユーロでした。

ラウル・マグロナールさん

マグロナールさん:「安いタイ米も入ってきます。有名なバレンシアオレンジにしても、儲けが出なくなりつつあります。近隣国から、安いオレンジが入ってきますから」

クボタトラクタのディーラーでごちそうになった「Kaki」

柿の木
柿

バレンシアの農業事情を伺うために、クボタトラクタのディーラーを訪れました。 その事務所でごちそうになったのは柿でした。

AGRO-ATES S.LL..のホセ・ビセンテ・ペリス・ピスクエタさんの話によると、バレンシアの果樹園の3割ぐらいが柿の生産に従事しているそうです。生産過剰と近隣国からの安いオレンジの輸入により、オレンジの値段が下がったために、高い柿に転換しているそうです。6年程前に日本の柿を採用し、名前もそのまま「Kaki」と呼んでいました。農業経営では、ときにさまざまな経営戦略の転換が求められます。

バレンシアのクボタ
バレンシアのスタッフ

ペリスさんによると、バレンシアと日本は似たところが多いのだそうです。
例えば、「取引にしても契約書ではなく、互いを信じ、約束を重んじる点が似ています」とのことでした。稲作は水の共同管理をはじめとして、互いの信頼関係が必要なため、よく似た心のありようは、同じ米作りに由来しているのかも知れません。

クボタのトラクタ
ペリスさん

クボタのトラクタについての評価をお聞きすると、「故障しにくいという点が、口コミで広がっています」とのことでした。

ペリスさんからも「日本の稲作農家の方は、どんな感じでお米を育てていますか?」という質問をいただきました。日本の稲作農家は、商品作物の栽培というより、我が子を慈しむようにお米を育てている旨をお伝えすると、にっこりと笑って「バレンシアも、同じです」とおっしゃっていました。

スペインの米作りは、この地から始まった

ガルシアさんがバレンシアの農業組合に案内してくださいました。スペイン各地からお米が集まって来て、良質の種籾(たねもみ)を選別するセンターだそうです。選別された種籾は再びスペイン各地に出荷されます。同じエリアに食用米を選別するセンターもあり、この地域がスペインの米作りの、まさに中心地と言えます。

選別するセンターの内部
選別するセンター

これが出荷される種籾です。一袋が25kgです。
ガルシアさんに、スペインきっての米どころ・バレンシアへの思いについてお聞きしました。

当時の田作りの様子
当時の田作りの様子

ホセ・ルイス・マトセス・ガルシアさん
ホセ・ルイス・マトセス・ガルシアさん

ガルシアさん:「スペインの米作りは、すべてこのバレンシアの人々が移り住んで、ノウハウを持ち込み、始めたのです」
1930年代の様子
1930年代の様子

ホセ・ルイス・マトセス・ガルシアさん

ガルシアさん:「1930年代から、いまは米どころと言われるエブロ川周辺やセビリアにしても、バレンシアの人々が米作りを始めたのです」
弟と並ぶガルシアさん

ホセ・ルイス・マトセス・ガルシアさん

ガルシアさん:「スペインの米作りはここで生まれ、育まれたのです。この地がスペインの『米のゆりかご』なのです」

12歳のときから60年間、この地で米作りを続けてきた誇りに満ちた笑顔で教えてくださいました。

柿をごちそうになったペリスさんから、日本に似ていると教えてもらったバレンシアの田んぼ。湖のような冬期湛水農法(とうきたんすいのうほう)の田んぼには目をみはりましたが、取材への協力として農業組合やアルブフェラ湖を案内してくださった農家の方々の人柄にふれると、ペリスさんの言葉を実感しました。

長い年月をかけてアルブフェラ湖の4/5を田んぼに作り変えたこの地域と、稲作に不適な気候と国土を克服した日本は、互いを重んじる心と、お米に対する愛情という共通点があるのでしょう。 バレンシアの田んぼではこれからも、「米のゆりかご」の地の誇りを受け継ぎ、黄金色の稲穂が輝き続けることでしょう。

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