TECHNOLOGY
未来へつなぐ、プラネタリーコンシャスな挑戦 第1回(後編)
北海道大学 野口教授 × クボタ 飯田特別技術顧問「地球ファースト」で考える、未来のスマート農業のカタチを語る
2025 . 12 . 12 / Fri
写真・文:クボタプレス編集部
日本のスマート農業を牽引する北海道大学大学院 農学研究院の野口伸教授と、クボタの飯田聡(特別技術顧問)による対談。前編では2019年から2025年にかけてのスマート農業の進化と現在地、そして課題を伺いました。後編ではスマート農業の未来像と、クボタが描く「プラネタリーコンシャスな農業」について深堀りします。
プラネタリーコンシャスな農業とは、大阪・関西万博を機にクボタが掲げた、地球と人に優しい農業のカタチのこと。地球とすべての命が幸せであり続ける状態をめざす農業の姿は、お二人の目にどのように映っているのでしょうか。
作物の適用範囲拡大をめざすロボット農機の未来像
――今後の、スマート農業の研究や進化の方向性についてお伺いしたいと思います。まずロボット農機の未来像については、どのように考えていますか?
飯田:これからは稲作や畑作だけでなく、野菜や果樹にもスマート農業の一貫体系*1を広げていく必要があると考えています。そのためには、ロボット技術をさらに進化させなければなりません。
クボタでは、農機が無人で完全自律走行し、使用者が遠隔監視する「Step 3」の開発を強化しています。このStep 3を実現するための大きな課題は「ほ場間移動」と「公道走行」です。公道走行はほ場内作業とは求められる安全性のレベルも技術も全く異なります。
- *1経営・栽培管理から収穫に至るまで、農作物が生産される過程において、ロボット、AI、IoTなどの先進技術を体系的に活用し、生産性や品質の向上、省力化を実現する農業のあり方。

飯田聡(いいだ さとし)。 株式会社クボタ 特別技術顧問 工学博士。1980年に久保田鉄工(現・株式会社クボタ)に入社し、トラクタ技術部第二開発室長、クボタトラクタコーポレーション(アメリカ)社長、機械海外本部長、クボタヨーロッパSAS(フランス)社長、農業機械総合事業部長、研究開発本部長、取締役専務執行役員などを経て、2018年より現職。農機の自動化・ロボット化をはじめ、クボタのスマート農業技術の研究開発を牽引。
飯田:作物の適用範囲拡大という点では、新しいコンセプトの機種も必要です。その一つが、クボタが開発した不整地用の全地形型プラットフォーム車両です。
このプラットフォーム車両は、中山間地の果樹園などでの作業が可能な機械として開発しています。どのようなアタッチメントを搭載し、どう活用していくか大学と共同研究を進め、汎用性や適用性を高めていきたいと考えています。

傾斜地や凹凸のある路面でも、荷台を水平に保ったまま走行できる全地形型プラットフォーム車両。不整地でも荷台を傾けずに積載物を運搬でき、さまざまな機器を組み合わせて多様な作業を行うことができます。
野口:これまでの農機の概念を覆す非常にユニークな機械で、世界の農業を変えるポテンシャルを秘めていると感じています。どんな不整地でも作業できるため、「適地」という考え方自体が変わるかもしれません。
日本やアジアに多い傾斜地でロボット農機が作業することは非常に難しいのですが、このような機械があれば、逆に傾斜地を有効活用できる可能性が拓ける点にも将来性を感じます。

野口伸(のぐち のぼる)さん。北海道大学大学院 農学研究院 農学研究院長・教授。農学博士。専門は農業ロボット、スマート農業。内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「スマートバイオ産業・農業基盤技術」ではプログラムディレクター代理を務めるなど、日本のスマート農業研究を牽引する第一人者。
飯田:ロボット技術では「除草ロボット」も重要です。畦畔(けいはん)だけでなく、畑作や野菜の株間除草は今も多くの高齢者が手作業で行っています。15年もすればその担い手がいなくなる可能性があるため、ロボット化は喫緊の課題です。さらに、畑作、野菜や果樹栽培における多様な作業の無人化・自動化を進めるには、各種の作業機(インプルメント)への適合とそれらのインテリジェント化が欠かせません。
データドリブンな農業の未来像「提案するKSAS」
――データを駆使する精密農業の未来像はどのように描いていますか?
飯田:データ農業の分野では、クボタの精密農業システム(FMIS)であるKSASの「フェーズ 3」をめざしています。フェーズ2は「栽培の見える化とデータに基づく適正作業の実施」でしたが、フェーズ 3は営農栽培面における「提案型システムの構築」です。さまざまなデータを重ね合わせたレイヤーマップに基づき、土壌に適した作物を植える「適地適作」の作付計画や、コストと気候変動を考慮した適期の作業計画をKSASが提案します。その計画に基づき、見込まれる収益を算出する営農シミュレーションまで行えるようになることが理想ですね。

フェーズ2「見える化」を果たしたKSASの概念図。ここから、最適な作付計画や作業計画を提案する「フェーズ 3」をめざします。
飯田:加えて、生産現場のデータと市場や消費者を結ぶフードバリューチェーン*2との連携も取り組むべきことです。収穫予測や品質といったデータが十分に連携できておらず、せっかくのデータが作物の付加価値に結びついていません。
- *2農業資材の生産・販売から始まり、農作物の生産、加工、流通、販売、消費に至るまでの、一連のつながりを表した言葉のひとつ
野口:マーケットとの連動は、未来のスマート農業を考える上で重要です。「儲かる農業」を実現するためには、生産から消費に至るサプライチェーン全体をモデル化し、最適化していくことが不可欠です。データドリブンな農業の範囲を「消費」まで拡張し、消費者の嗜好もデータとして捉え、フードバリューチェーン全体を最適に運用していくことが、これからますます重要になると考えます。
――データを活用する農業が将来果たす役割について、他に期待する点はありますか?
野口:大きな気候変動下で、安定した生産に寄与する点です。気候が変われば作付地域が変わり、これまで作られなかった作物が新たな地域で栽培できるようになります。
新しい地域ではその作物の作り方が分からないため、気候が変わる前に栽培していた地域のデータや栽培技術が役立ちます。当然、土壌が違うので単純には当てはめられないのですが、重要な情報として参考になります。
つまり、栽培データの広域利用が可能になり、安定生産や農業の持続性につながるのです。データの時間軸と空間軸を伸ばし、利用地域を拡大する発想が、今後はとても重要になると思います。
――そのデータを取得する点では、ロボット農機との連携が不可欠ですね。
飯田:はい。高度なセンシング技術や市場など外部から得たビッグデータを解析し、AIがフードバリューチェーン全体を見据えた最適な営農計画・作業計画を導き出します。その計画に基づいて農機が作業を実行し、結果を再びセンシングする。このループを回すことで、多様な作物に対応できるプラットフォームの構築をめざしています。この構想はクボタ単独では実現できず、産官学の連携が欠かせません。将来的には、KSASを農家の「デジタルパートナー」へと進化させることが最終的な目標です。

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フードバリューチェーン全体を視野に、データを基に最適な計画を導き出すことで、求められる農産物を必要な量だけ安定的に生産する、精緻なPDCA型農業経営が可能になります。
「プラネタリーコンシャスな農業」実現のために必要なこと
――クボタが描く未来の農業として掲げる「プラネタリーコンシャスな農業」についてお聞かせください。
飯田:大阪・関西万博を機に、クボタとして未来の農業ビジョンを明確に語るべきだと考え、「プラネタリーコンシャスな農業」という言葉を掲げました。プラネタリーバウンダリー(地球の限界)にあるという状況を踏まえ、これまでの人間中心の考え方から脱し、「地球ファースト」で食と農業の未来を考えるべきだという思いを込めています。このビジョンは、大きく3つの方向性から成り立っています。
「プラネタリーコンシャスな農業」3つの方向性
1. 農作業の完全無人化・クリーンエネルギー化
- 自律型ロボット農機と人の協調による無人農作業の実現
- 複数農機のコミュニケーションにより、協調作業(群制御)を実現
- 新動力機構(BEV、HEV、FCEV*3など)で温室効果ガス排出を削減
- *3BEV: Battery Electric Vehicle、HEV: Hybrid Electric Vehicle、FCEV: Fuel Cell Electric Vehicle
2.データでつなぐ持続可能な食料システム
- 精密農業システムによる天候、土壌、生育状況や病虫害の可視化、データ分析AIや生育シミュレーションに基づく最適な作業提案(減肥、減農薬、省水など)
- 農業ロボット連動のスマート有機農業システム(機械除草、有機資材、緑肥等を活用した効果的な土壌メンテナンス、総合病害虫管理IPM*4推進)
- オープンプラットフォーム化(Market Place)による外部データとの連携容易化
- フードバリューチェーンとのデータ連携によるジャストインタイム(JIT)生産でフードロス削減
- *4IPM: Integrated Pest Management
3.農業資源の有効活用
- 農業残渣(稲わら、もみ殻など)からのメタン発酵やガス化技術によるバイオガスグリーン水素製造等のエネルギー転換、バイオ炭や液肥等の活用による資源循環
- 農地の上部空間を有効活用した営農型太陽光発電
- 回転溶融炉による下水汚泥からのリンの回収と肥料活用技術など
飯田:プラネタリーコンシャスな農業の基盤はスマート農業です。スマート農業で減肥、減農薬、省水、省エネを実現し、その上で「環境重視の持続型スマート農業」「農機のクリーンエネルギー化」「農業残さの資源回収・循環」という3つのエッセンスを加えています。特に資源循環は、当社の水・環境部門が培ってきた技術との融合をめざしています。
野口:実現すべきビジョンだと思います。食料生産に「循環」の視点がなければ、廃棄物が増え続けるだけです。持続可能な社会の構築には循環が欠かせませんし、農業においてもそれをポジティブに実現する仕組み作りが重要です。

未来のスマート農業やプラネタリーコンシャスな農業について話題が及び、お二人の対談にもいっそう熱が入ります。
――野口教授の視点から、このビジョンをさらに進化させるために必要なことは何でしょうか?
野口:個々の要素技術を磨き上げることは大前提として、より重要なのはそれらを統合するインテグレーション、すなわち「システム化」です。各要素が正しく動いても、組み合わせた時に最適化されるとは限りません。技術間のバランスを取り、システム全体がうまく機能するよう設計する力が極めて重要だと考えています。
――その課題を乗り越えるためのアプローチについて教えてください。
飯田:鍵になるのは現地での実証です。例えば稲わらを原料とするメタン発酵グリーン水素製造システムは、秋田県大潟村で、稲わらの効率的な収集や事業の成立性まで踏み込んだ実証実験を行っています。ここでは早稲田大学や京都大学など、他大学の技術も活用し、実験プラントを稼働させています。このように、ビジネスとしての成立性を含めた社会実装のための評価を、現場で着実に積み重ねていくことが不可欠です。
また、環境保全型農業を具体的に進める上で、私たちが特に着目しているのが、有機資材や緑肥を活用した「土壌のメンテナンス」です。作物の生産性は、天候だけでなく土壌の健全性に大きく左右されます。健全性をいかに評価し、維持していくか。ここが非常に重要なポイントです。
未来を担う技術者・研究者への期待
――最後に、スマート農業の未来を担う大学生や大学院生、若手の技術者・研究者の方々への期待をお聞かせください。
野口:学生たちは、食料や環境問題に高い関心を持ち、真摯に向き合っています。その上で、彼らが慣れ親しんでいるAIやICTなどの先端技術が、今まさに農業という分野で求められていることは、大きなモチベーションになっています。将来の食料生産や循環型社会の実現を担う世代は、着実に育っていますし、大いに期待しています。
飯田:私が最も期待することは「現場主義」を徹底することです。まずは現場に出て現実を知り、自分が何をしたいのか、どこに興味があるのかというビジョンをしっかりと持ってほしい。強い意志がなければ、民間企業で何かを成し遂げることはできません。
そして民間企業である以上、「マーケティング」の視点も不可欠です。お客様の不満を聞くだけでなく、その裏にある潜在的なニーズまで捉え、価値を提供できる開発者になってほしいと思います。
アジャイルにコンセプトを作り、お客様にぶつけて検証を重ねる。産学官連携の枠組みを理解し、大学やベンチャーと役割を尊重しながら協業を進める。何より、ビジョンを共有できるコミュニケーション豊かな組織を作り、チーム一丸で熱意と粘り強さをもって課題解決に取り組んでほしいです。
野口:若い時は、広く浅く手を出すよりも一つのテーマに集中して深く掘り下げることが、その後の大きな発展につながります。私たち教員の役割は、私たちの分野に関心を持つ学生たちに、「こんなに面白い世界があるんだ」と思えるゴールを示し続けることです。魅力的なビジョンさえあれば、若い人たちは自ら走り出します。
飯田:私が 14年間、スマート農業に熱意を持って取り組み続けられたのは、ビジョンを共有し、粘り強く課題解決に取り組んでくれたチームの仲間、そして共同研究で多大なご尽力をいただいた野口教授をはじめとする皆様のおかげです。また高齢化先進国日本での技術開発は将来、世界をリードする技術となる、という信念があるからです。その原動力となったのは熱意であり、若手の技術者・研究者の皆さんにも、自分自身を動かす熱意を大切にしてほしいと思っています。


