バングラデシュを1987年、1988年に大規模な洪水が襲った。最初の大洪水の被災者は1,800万人以上にのぼり、さらに翌年の大洪水は前年をはるかに上回るものとなった。首都ダッカは冠水し、空港も閉鎖され、事実上バングラデシュの経済活動は、まひ状態となった。その被害の大きさから「100年に一度の大洪水」「史上最悪の大洪水」と呼ばれた。そして翌1989年開催の「パリ・サミット」で環境保護というテーマにおいて、バングラデシュの洪水問題が取り上げられたことで、世界の注目を集めることとなった。
パブナ・プロジェクトは、1960年代末に立案された洪水対策のプロジェクトだ。対象となったのは、ダッカから北西に125kmほど離れたバングラデシュ北部で、ガンジス河とジャムナ河が合流するあたり、両河川およびボラル河に囲まれた低地エリアと、そこに暮らす約150万人。かつては毎年のように「雨季には洪水、乾季には干ばつ」が繰り返され、土地の利用率はもちろん、農作物の収穫も低いレベルにとどまっていた。このパブナ・プロジェクトに与えられた課題は、雨季の治水と乾季のかんがい。二つの課題を解決しながら農業生産性を高めるという、困難なプロジェクトだった。
課題解決に重要な役割を果たすことになったのが、日本の伝統的な水害防止策「輪中」のアイデアと、ポンプ基地だ。まず、エリア全体を堤防で取り囲み、雨季には河川の氾濫による洪水を防ぐとともに堤防内に降り注ぐ大雨を排水する。そして乾季には、かんがいのために河川から引水するというもので、いわば「バングラデシュ式輪中」といえる。日本の「輪中」との決定的な違いは、排水とかんがいといった水のコントロールにポンプを使うこと。ポンプ基地に設置された高性能の立軸ポンプは洪水制御や排水、かんがいに実力を発揮し、この地域の農地を肥やして干ばつを防ぎ、生産効率を大きく高めた。
このプロジェクトでは、大河と大雨がもたらす「脅威の水」を、稲作を二期作へと変え、野菜作りを可能にし、養魚場をもたらす「恵みの水」に変えることに貢献した。また、クボタのポンプは早くからODA(政府開発援助)などの経済協力を通じて東南アジアなどのかんがい整備で採用されてきた。そして1990年以降は、生活のための水を運ぶ、社会インフラ向けのポンプとして中近東などを中心に事業を展開。高性能化・高付加価値化を進めながら、その活躍の場をより広げていった。