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PEOPLE

釜石シーウェイブスとクボタスピアーズの
両GMが語る
ラグビーによって育まれた
釜石とクボタの絆

2020 . 11 . 13 / Fri

釜石鵜住居復興スタジアムのグラウンドに置かれた、「釜石ラグビー」のロゴが入ったラグビーボール

写真・文:クボタプレス編集部

日本中が熱気に包まれたラグビーワールドカップ2019で、東北唯一の開催地となった岩手県釜石市。この釜石で、ワールドカップのレガシー(遺産)の継承を目的とした「いわて・かまいしラグビーメモリアルイベント」が、2020年10月9日と10日の2日間で開催されました。

本イベントではメモリアルマッチとして、釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムを舞台に釜石シーウェイブスRFC(以下、釜石シーウェイブス)とクボタスピアーズが対戦。スタジアムに集まった観客はコロナ禍ということもあり、声援の代わりに拍手で両チームにエールを送っていました。

10月10日に釜石鵜住居復興スタジアムで行われたメモリアルマッチでスクラムを組む、釜石シーウェイブスとクボタスピアーズの選手たち

新型コロナウイルス対策として、通常の半分の3,000席を上限として開催されたメモリアルマッチでしたが、大勢の観客が駆けつけたスタジアムは熱気に包まれていました。

東日本大震災以降、クボタは被災地のひとつである釜石に、さまざまな形で復興支援を行っていますが、釜石とクボタにはそれ以前から、ラグビーを通じたつながりがありました。今回のクボタプレスでは、釜石シーウェイブスとクボタスピアーズ、両チームのGM(ゼネラルマネージャー)のインタビューから、釜石とクボタのつながりを紐解いていきます。

メモリアルマッチ実現につながった、ラクビーの絆

釜石が「ラグビーの街」として知られるようになったのは、釜石シーウェイブスの前身である新日鉄釜石ラグビー部が、1978年から1984年にかけて日本選手権7連覇を成し遂げたことがきっかけ。この7連覇の直後に新日鉄釜石に入社し、チームの顔として、また日本代表として活躍したのが、現在、釜石シーウェイブスのGMを務める桜庭吉彦さんです。

メモリアルマッチの試合前に、釜石鵜住居復興スタジアムのグラウンドで話をする釜石シーウェイブスGMの桜庭吉彦さん

桜庭吉彦(さくらば よしひこ)さん。高校卒業後、新日鉄釜石に入社し、ロックとして活躍。日本代表キャップ数は43を数え、1987年、1995年、1999年のワールドカップに出場した日本ラグビー界のレジェンドの一人。ラグビーワールドカップ2019では、大会アンバサダーを務められました。

長きにわたり釜石、そして日本のラグビー界に貢献されている桜庭さん。ご自身にとって印象深い、釜石とクボタのつながりを象徴するエピソードを尋ねると、「クボタが初めて全国社会人大会出場を決めた試合*1の対戦相手が新日鉄釜石でした。クボタが勝って、チームがさらに強くなっていくきっかけになった試合ですね。2011年にはトップイースト1部リーグでしのぎを削り合った間柄でもあります」と話します。

  1. *1.1997年の全国社会人大会出場決定戦

釜石市では当初、台風により中止となったワールドカップのナミビア対カナダ戦の再戦を企画していましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により断念。それでも、ワールドカップのレガシーを継承し、コロナ禍の収束後にナミビア対カナダ戦の再戦の気運を高めるためにも、メモリアルマッチとして国内チーム同士の試合を行いたかったと桜庭さんは言います。

そんなメモリアルマッチの対戦相手がクボタスピアーズに決まった背景を、桜庭さんは「2011年、震災直後にスピアーズが釜石に来て復興を後押しする試合をしてくださいましたが、そんなご縁もあってぜひスピアーズに、とチーム同士で話しました」と振り返りました。

釜石鵜住居復興スタジアムで行われたメモリアルマッチで、ボールを持って守備網をかいくぐろうとする釜石シーウェイブスの選手と、タックルしてボールを奪取しようとするクボタスピアーズの選手

釜石シーウェイブスにとって3試合目、クボタスピアーズにとっては今シーズン初の対外試合となった一戦で、選手たちは激しくぶつかり合いました。

クボタスピアーズは2011年7月30日に、釜石市内の「がんばれ東北!復興祈願ラグビーDay」のチャリティーマッチにて釜石シーウェイブスと対戦。さらにクボタ東京本社や東北支社などからボランティアがイベント運営に参加し、ラグビーの街・釜石を応援しました。以来、両チームは試合や交流を重ね続けています。桜庭さんは「苦しい時期に手を差し伸べていただいた恩は、10年近く経った今でも心の中にあります」と、感謝の思いを述べられていました。

クボタスピアーズにとって特別な場所、釜石

日本選手権で7連覇し、圧倒的な強さを誇っていた新日鉄釜石に対し「日本のラグビー界に身を置く人間として、常に目標としていた存在」と敬意を表するのは、クボタスピアーズのGM・石川充さんです。

メモリアルマッチ試合前に、釜石鵜住居復興スタジアムのグラウンドで撮影に応じるクボタスピアーズGMの石川充さん

石川充(いしかわ みつる)さん。1992年にクボタへ入社し、チームが初の全国社会人大会出場を果たした1997年まで選手としてプレー。2012年からGM職に就き、クボタスピアーズのチーム強化に力を注いでいます。

クボタが東日本大震災の被災地へ復興支援活動を行う中で、クボタスピアーズもラグビーを通じた活動を行ってきました。クボタと釜石のラグビー関係者のつながりがきっかけで、2011年のチャリティーマッチが実現。2018年6月には鵜住居小学校でタグラグビー教室と、地元高校ラグビー部へのラグビー指導を実施。また津波の被災地へ足を運んだり、クボタスピアーズが常宿としている地元旅館・宝来館の女将で、その身で震災と津波を体験した岩崎昭子さんの講話を聞いたりしながら、チーム全員で震災復興の歴史を学びました。

バックスタンド上段から撮影した、無人の釜石鵜住居復興スタジアム全景

釜石の復興のシンボルである釜石鵜住居復興スタジアム。震災で被害を受けた旧鵜住居小学校、釜石東中学校の跡地に建設され、震災の記憶と防災の知恵を次世代に伝える役割を持っています。

2年ぶりの対戦となった今回のメモリアルマッチも、チーム強化の一環という側面はもちろんありながら、「釜石は特別な場所であり、この地でプレーすることは、自分たちにとって意味がある」と石川さん。クボタスピアーズでは試合前に「なぜこの試合を行うのか、自分たちはなぜラグビーをやるのか」という意識付けを選手一人ひとりに必ず行っており、今回のメモリアルマッチでも、釜石という地でプレーする意義を落とし込んで臨んだと言います。

特別な場所として位置づける釜石の、震災復興のシンボルであるスタジアムでプレーした選手たちは試合後、ロッカールームに「また、釜石に帰って来ます。どんな時も前を向いてがんばりましょう!」と釜石の皆さんに向けてメッセージを残していきました。

メモリアルマッチの試合後、釜石鵜住居復興スタジアム内ロッカールームのホワイトボードに残された、クボタスピアーズから釜石の皆さんに向けたメッセージ。

ホワイトボードに残されたクボタスピアーズからのメッセージには、感謝の思いとエールが込められていました。(出典:https://kamaishi-seawaves.com/news/1412/

編集後記

クボタでは、さまざまな個性を持つメンバーの一人ひとりが自分の役割に責任を持ち、ひとつのゴールを目指すラグビーを“カンパニースポーツ”と位置付けています。そのラグビーから生まれた釜石とクボタのつながりは、今でも途絶えることなく、復興支援活動やメモリアルマッチなどに結びついています。釜石だけでなくクボタにとっても、ラグビーというスポーツが大きな存在であること、そのラグビーによって育まれた絆の強さが感じられた取材となりました。

メモリアルマッチの試合後、釜石鵜住居復興スタジアムのバックスタンドを背景に集合写真に収まる釜石シーウェイブスとクボタスピアーズの選手たち

試合後、釜石シーウェイブスとクボタスピアーズの選手たちで記念写真を撮影。2021年1月より開幕するトップリーグ、トップチャレンジリーグでの両チームの躍進に期待がかかります。

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