岩手県釜石市にお住まいで、震災復興支援活動をされているお二人の笑顔の写真。左が株式会社青紀土木の青木健一社長、右が釜石の老舗旅館、宝来館の女将さんである岩崎昭子さん。

2020 . 12 . 18 / Fri

PEOPLE

ラグビーで結ばれた絆とともに興る街“釜石”次世代に希望を繋ぐ街づくり

写真・文:クボタプレス編集部

日本に甚大な被害をもたらした東日本大震災の発生から、まもなく10年を迎えようとしています。これまでクボタは、津波による壊滅的な被害を受けた東北地方にさまざまな復興支援を行ってきました。中でも2020年10月10日に釜石シーウェイブスとクボタスピアーズのメモリアルマッチが行われた釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムのある岩手県釜石市は、震災以前からラグビーを通じた交流を持つ地。クボタは震災直後にも釜石市を訪れ、そこで出会った人々との交流を深めながら、がれき・雑草の撤去作業や農地再生などの復興支援活動にも取り組んできました。

釜石鵜住居復興スタジアムの後ろにそびえる山から顔をのぞかせた朝陽がピッチに差し込む

ラグビーワールドカップ2019の会場となった“ラグビーの街・釜石の復興”を象徴する釜石鵜住居復興スタジアム。

大震災を経験した釜石の人々は、災害に強い希望溢れる街を築き上げようと復興活動に日々取り組んでおられます。その活動に関わったクボタがともに働いた釜石市の復興活動を後押しする二人の人物にお会いし、釜石の人々が期待する“新しい釜石”がどのようなものか、お話を伺いました。

次世代に託したい“新しい釜石”づくりへの挑戦

震災当時、釜石市から西へ約90キロ離れた株式会社青紀土木 北上営業所(岩手県北上市)で所長を務めていた青木健一さんは、港町・平田(へいた)地区にあった青紀土木の本社へと急ぎました。そこで青木さんが目にしたものは、津波で被害を受けた本社であり、社員も被災していました。しかし、青木さんはすぐさま災害救助隊が現地入りするための道路整備と向き合わねばならなかったと言います。

釜石の復興にかける熱い想いを語る青紀土木の青木健一さん

青木健一(あおき けんいち)さん。釜石と岩手県北上市に拠点を置き、土木一式工事業、鉄道土木工事業などを営む株式会社青紀土木の代表取締役社長。2012年、釜石の若手経営者が集まった復興支援組織「NEXT KAMAISHI」を立ち上げ、会長を務められました。

大地震の直後、自衛隊を中心とする災害救助隊の侵入ルート確保が最優先とされ、青紀土木をはじめ多くの建設会社が重機を使って道路のがれき撤去や復旧作業に取り掛かりました。「震災直後、北上市から釜石市まで車と徒歩で1日かけて移動した際、道路の復旧を何より最優先すべきだと痛感しました」と青木さん。青紀土木も津波による大きな被害を受けていましたが、自分たちのことはすべて後回しで取り組まれたそうです。

災害対策の車両が被災地に乗り入れられるまでに道路が復旧し、ようやく本社周辺のがれき撤去に着手する段階となって民間ボランティアを受け入れようと社会福祉協議会にお願いしたところ、やってきたのがクボタでした。「本来なら多額の費用が発生する作業を無償で手伝ってくれたクボタのボランティア活動には、お金を寄付してくださったのと同等の価値があります。お礼が言いたくてクボタの担当者にご連絡したんです。そこから、これからの釜石に必要なもの、求められるものについてのやり取りが始まりました」と、青紀土木とクボタとの復興支援活動のはじまりを振り返ってくださいました。

2011年より始まったクボタの研修生*1と指導員による釜石市への復興支援ボランティア活動では、草刈りやがれき撤去、整地作業などを行いました。この活動のなかで、彼もクボタの研修生に「人と人との繋がりの大切さ」を伝えたかったと言います。

*1 製造スタッフとして働く高卒・高専卒の新入社員


2012年5月、青木さんの働きかけから、クボタの研修生たちは被災された方々とともに野菜づくりにも取り組みました。「仮設住宅居住者のためのコミュニティづくりとして、みんなで野菜づくりをしようと提案しました。クボタの若い研修生たちにも一緒に収穫や成長を楽しんでもらい、その中で、自分たちの仕事にどんな意味があるのかを感じ取って欲しかったんです。そうした学びを得た彼らの成長が楽しみで、暖かみのある社員を持つクボタとなら、他にはない支援ができるのではないか、と思いました」。青木さんはそうお話しくださいました。

真っ白い作業服を着たクボタの研修生たちが、耕作放棄地にて土を掘り起こす作業に従事する

2012年5月、指導員を含めたクボタの堺研修生が、仮設住宅居住者用のコミュニティづくりを目的とした耕作放棄地を農園に再生する作業に取り組みました。

釜石で生まれ育った土木工事のプロフェッショナルとして、かつての街の賑わいを取り戻す手伝いがしたいという想いを強くしながら、積極的に復興支援活動に取り組んでいた青木さん。復興委員として参加していた平田地区の会合の参加者は青木さんよりも年上の方が多く、「震災前の釜石に戻って欲しい」という声がほとんどでした。しかし、青木さんは「元通りにするだけでは何も変わらない。災害に強い“新しい釜石”づくりをしなければ」と考えていたと言います。

そんなときに出会ったのが、「未来責任」という言葉でした。都市震災軽減工学を専門とする目黒公郎教授(東京大学 生産技術研究所)が講演で用いられたもので、次の世代に向けて果たすべき責任を意味する、まさに青木さんが抱いていた想いを言い表していました。「自分たちには、未来に向けて釜石をより良くしていく責任があるんだ。以前の姿に戻すのではなく、災害に強くて地元の人が誇りに思えるような希望ある街にしなければ」と、その想いを強くされました。

そこから釜石市の若い経営者らに呼びかけ、復興支援組織「NEXT KAMAISHI(ネクスト釜石)」を設立。「地域の誇りとより良い未来へのバトンを持ち、ここから皆で次の釜石へ」という言葉を掲げ、昼夜を問わず新しい釜石の姿について語り合いました。

岩手県釜石市の平田地区にあるヤマキイチ商店の倉庫にて、専務の君ヶ洞剛一さんと笑顔で語り合う青木健一さん

「NEXT KAMAISHI」のメンバーでもあるヤマキイチ商店の専務・君ヶ洞剛一(きみがほら たけいち)さん(左)は、“新しい釜石”づくりについて語り合ってきた盟友。そんな情熱溢れる仲間と交わす言葉のひとつひとつが、青木さんに気付きと力を与えているのだそうです。

震災から2年が経っても、仕事に就けないでいる人もいれば、仮設住宅で孤独を感じている人、大切な人を失った悲しみが癒えない人もいました。そんな状況を有志たちと話し合う中で、釜石という街がもう一度ひとつになることが必要だと感じた青木さん。震災によって途絶えていた釜石の夏の風物詩であるお祭り「釜石よいさ」の2年ぶりの復活は、そんな想いから生まれた取り組みのひとつでした。イベント運営に不慣れなメンバーで実現した「釜石よいさ」は、悲しみに沈んだ街に再びあかりが灯ったように盛り上がり、見事成功を収めます。こうして“新しい釜石”づくりに動き出した「NEXT KAMAISHI」は、釜石の人たちが「良い街だよ」と胸を張って言える街にするための取り組みに尽力しています。

「自分たちの子どもや孫、さらにその先の世代へと受け継がれていく街にしなければいけない。その『未来責任』を、震災を経験した私たちの世代は背負っているのだと思うんです。まもなく震災から10年が経とうとしていますが、これまで議論してきた『自分たちにできる復興とは何か』について、これからの10年は率先して実践者となり、周りを巻き込んでいかなければいけないと考えています」と、青木さんは自身の使命を語られました。

生きる希望として立ち上げられたワインで乾杯プロジェクト

震災から4年が経った2015年、日本で開催されるラグビーワールドカップ2019の会場のひとつに釜石市が選ばれた瞬間、岩崎昭子さんはとても胸が躍ったそう。「ラグビーワールドカップ2019を観戦し、ワインで乾杯しよう!」という想いから岩崎さんが立ち上げた「ワインで乾杯プロジェクト」は、釜石のオリジナルワインの実現に向けて気持ちを高められました。

岩手県の海岸沿いにそびえる老舗旅館・宝来館の前で震災の経験を語る女将の岩崎昭子さん

岩崎昭子(いわさき あきこ)さん。昭和38(1963)年創業の老舗旅館「宝来館」の女将。東日本大震災の被害に遭った釜石に新たな希望をと『ワインで乾杯プロジェクト』の牽引役に。またイギリス式救命艇を用いたレスキュー法を広める一般社団法人根浜MINDの理事長も務められています。

大地震の発生からまもなく、経営する旅館・宝来館の前に広がる根浜海岸の向こうから大津波が押し寄せてくるのを目の当たりにした岩崎さんは、旅館の裏にある丘の上に逃げる途中で波に飲まれつつも、従業員に助けられ一命をとりとめたという経験の持ち主。帰宅許可が出て旅館に戻った彼女の第一声は、「宝来館、復活させるぞ!」でした。大津波の被害に遭った宝来館は4月まで電気が通らず、実際に旅館として機能するまでには長い時間がかかったそうですが、それでも諦める気持ちはありませんでした。

「とにかく生きる希望を持ちたかった。そんなあるとき、釜石市がラグビーワールドカップの会場に立候補するという話を聞いたんです。そしてラグビーが盛んなフランスでは、試合に勝つとワインで乾杯するという文化があると知って、だったらここ釜石でもワールドカップをお祝いするワインを作って、釜石に来てくれる人たちと一緒に乾杯しよう!と思い立ちました」と、岩崎さん。

釜石鵜住居復興スタジアムの敷地内に設けられた葡萄園の木に小さな葡萄の実がなっていました

現在、釜石鵜住居復興スタジアムの敷地内で栽培されているワインプロジェクトのぶどう。今後は醸造所やワイナリーを作って、新規雇用を創出できる産業にしていきたいと岩崎さん。

ワインづくりには不向きと言われる塩分の多い土壌の沿岸部・釜石でのぶどう栽培。このプロジェクトがいきなり直面した最大の困難は、割り当てられた耕作放棄地の再生でした。そのためには農機を用いての作業が必要となり、当然費用も発生します。しかしプロジェクトの予算は潤沢ではなく、岩崎さんにとって悩ましい問題でした。

それを聞いた当時のクボタ 東日本大震災 震災復興支援室の担当者が、岩手県の農機販売会社・株式会社みちのくクボタとともに農園整備に協力しました。雪が舞う2013年3月、3台のトラクタが耕作放棄地に持ち込まれ、クボタ、みちのくクボタ、クボタアグリサービスの3社による作業が進められました。ワイン農園の近くにある食堂で昼食を振る舞った際、「どうしてそんなに良くしてくれるのか」とクボタ従業員に尋ねたところ、「女将、クボタもラグビーなんですよ」という言葉が返ってきたそう。ラグビーという競技を象徴する「One for All, All for One」の精神を言い表したかのようなその言葉に、改めて釜石とクボタの繋がりを感じたという岩崎さんは、さらに力強く「ワインで乾杯プロジェクト」を推し進めていきます。

老舗旅館・宝来館のロビーにて、オリジナルワインのマロードを手元に笑顔でワインプロジェクトのことを語る岩崎昭子さん

ラグビーワールドカップ2019に間に合ったオリジナルワイン「マロード」を手元に、プロジェクトの思い出を語る岩崎さん。

せっかく実ったぶどうが病気になったり、ハクビシンに食べられたりといったトラブルを経験しつつも、岩崎さんが手がけたオリジナルワイン「マロード」は、目標だった2019に釜石鵜住居復興スタジアムで行われたラグビーワールドカップの試合に間に合い、お披露目されることに。プロジェクト発足から足掛け7年のことでした。そしてラグビーワールドカップ2019をひとつの区切りとしたプロジェクトは、新たに釜石鵜住居復興スタジアムの敷地内にも栽培地を設け、新規雇用創出も視野に入れた釜石の新たな産業として、若い世代による運営をスタートさせています。

ワインプロジェクトを振り返り、岩崎さんはこう語ります。「釜石の復興は、ラグビーの試合そのものでした。パスを出す人がきちんと繋がなきゃダメで、ひとりの力だけでは成し遂げられないもの。私たちは未来に向かって種を蒔いたので、それを次の世代へと繋いでいかなければいけません。携わった活動は、70歳、80歳、90歳になっても続けていきますよ」。

朝の宝来館の前に2台の観光バスが並ぶ。中には30名近いクボタスピアーズのラグビー選手らが乗車しており、宝来館の女将・岩崎さんが彼らに向かって釜石ラグビーの名物・大漁旗を力いっぱい振ってエールを送っている

釜石シーウェイブスとのメモリアルマッチに向けて宝来館を出発するクボタスピアーズを激励しようと、釜石ラグビーの名物「大漁旗」を力強く振る岩崎さん(写真中央)。

その人柄を表すような優しい笑顔が印象的な岩崎さんも、この震災でいくつもの大変なご苦労をされています。それでも常に未来に目を向けることを忘れないその生き様が、新しい出会いを生み、そして彼女の原動力となっているのです。「元に戻ることが完成形じゃないと思います。若い人たちの取り組みが生んだ変化もどんどん取り入れていきたい。大事なのは生き続けること。生き続けて、復興していく中で変化していっていいと思っています」。

釜石の復興活動にかけるクボタの想い

「女将、クボタもラグビーなんですよ」と、宝来館の女将・岩崎さんの心に残る言葉の主が、クボタスピアーズの創設期のマネージャーを務めた元ラガーマンで、震災当時は東北支社総務課長だった堀越健文さんでした。以前からラグビーを通じて交流のあった釜石シーウェイブスの事務局長にコンタクトを取り、クボタスピアーズとの親善マッチを実現させました。その翌日には、クボタ東北支社とクボタグループの従業員の総勢41名による釜石市唐丹地区でがれき撤去のボランティア活動を実施。そして青木さんのお話にあったクボタ研修生らによる釜石市での震災復興ボランティアへと繋がっていきました。

釜石市を縦断する三陸鉄道の駅のひとつ鵜住居駅の前の広場にて、クボタの服部竜一さん、菱田真さん、堀越健文さんが笑顔で記念写真におさまる

(写真左から)クボタ CSR企画部 サスティナビリティグループの服部竜一(はっとり りゅういち)さん、クボタCSR本部 CSR企画部長の菱田真(ひしだ まこと)さん、クボタ 法務部 カスタマー相談グループの堀越健文(ほりこし たけふみ)さん。

「毎年、クボタでは全国から集まった高校、高専を卒業した新入社員に対して一年間の育成プログラムを実施しています。工場の現場での必要な技能や知識をはじめ、チームとして困難を乗り越える経験を積みながら将来のリーダーとしての素養を身につけてもらうことが主な目的です。釜石市での震災復興ボランティアもそのひとつで、実際に被災地に赴き、さまざまなお手伝いをする中で多くのことを学んでもらおうと考えました」と語るのは、クボタCSR本部 CSR企画部長の菱田真さん。

菱田さんの言葉を受けて、CSR企画部 サスティナビリティグループの服部竜一さんはこう続けます。「実際、復興支援ボランティアを経験した研修生たちは顔つきが変わるんです。想像以上の被災状況を目の当たりにすることで自発的な行動につながり、それらひとつひとつが彼らの心根を育むのだと思います」。

2020年10月10日、釜石鵜住居復興スタジアムで開催されたラグビーメモリアルマッチ、釜石シーウェイブスとクボタスピアーズによる試合のワンシーン。ひとつのボールをめぐって、赤いジャージの釜石シーウェイブスと水色のジャージのクボタスピアーズの選手らが入り乱れています。

釜石の子どもたちへのタグラグビー教室や釜石シーウェイブスとクボタスピアーズとの試合など、今後はラグビーを通じた交流を深めていきます。

編集後記

青木健一さんと岩崎昭子さん、釜石の復興の大きな力となっているお二人のお話に通じていたのが“新しい釜石”づくりにかける想いでした。復興とは、依然と同じ姿に戻すことではなく、釜石を愛する人たちが次の世代、さらにその次の世代が安心して暮らせる街へと生まれ変わらせることだとおっしゃられました。未曽有の大災害を経験しながら逞しく立ち上がり、新たな希望に向かって走り続けるお二人の姿から、ラグビーの街が育んだ不屈の精神を感じずにはいられなかった取材でした。

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