初の国内農機販売会社を北海道・旭川に開設
農機の普及が急速に進むなか、当社は特約店や代理店とのコミュニケーションを深める一方で、販売網の再構築に乗り出します。
農機業界では従来、農業用エンジンメーカーと脱穀機、籾摺機などの作業機メーカーが2大主流で、農機販売店はそれぞれのメーカーの商品を販売する「二枚看板取引」が通例でした。
当社は作業機の品ぞろえを進めながら、クボタ専売店を育成。さらに、より強力な販売網をつくり上げるため、既存販売店の合併や当社の資本参加により、1県1社の大型店を原則とした系列販売会社の設立を目指します。その結果、昭和36年に「旭川クボタ農機販売株式会社」ほか3社を設立、40年までに全国で47社が誕生しました。
上水・下水などの環境整備事業へ進出
創業直後から当社と深いつながりを持ってきた水道界の恩顧に報いるため、昭和36年、中央研究所内に上水部・下水部からなる水道研究所を開設。その成果をもとに、翌37年12月から水処理事業へ進出しました。工場を持たず、し尿や下水処理施設などの設計・施工をおこなうソフトウエア主体の事業部門で、その後、都市ごみ処理にも進出します。
同じく昭和37年、大阪府枚方市に枚方機械工場・鋳鋼工場(現・枚方製造所)を開設。約33万㎡という当社始まって以来の広大な敷地に施設の整備を進め、手狭になっていた武庫川機械工場や大阪市大正区の鋳鉄工場から事業を移管しました。
「自動販売機」の製造を開始
当社自動販売機のルーツといえるのは、昭和33年に船出町工場で開発したヘルスコーダー(自動体重計)です。体重計に乗って10円硬貨を入れると体重を記録したカードが出てくるというもので、国際見本市にも出品しました。
その経験や「はかり」の自動制御技術を活かし、昭和37年初頭から牛乳自動販売機の開発に着手。硬貨選別装置や断熱技術などの研究を進め、38年1月に乳業界初の自動販売機となるビン用の試作機が完成しました。その後、販売・サービス網を整備するとともに、テトラパック用やらせん降下方式のビン用自動販売機を発売。42年5月にはのちに主力となるたばこ自動販売機(5種売り)を市場に送り出しました。
「田植機」の製造を開始
田植え作業の機械化は、稲作農家にとって長年の夢でした。当社がその開発に着手したのは昭和32年頃で、本格的な研究に取り組んだのは38年。同じ頃、他社もさまざまな方式で開発を進めていました。
当社が機械化に最適と考えたのは育苗箱を使用した「ばらまき育苗方式」による「土付苗田植機」です。昭和43年にSP形を開発し、翌44年には歩行形田植機の原型となる1輪2条植えのSPS形を発売、45年には量産を開始しました。
育苗箱で稲を密植するため育苗スペースが苗代栽培の20分の1になるなどメリットが多く、その後、他社のほとんどの田植機がこの方式を採用するようになりました。
宇都宮工場を新設して農業用作業機の製造を開始
当社では業界に先駆けて昭和40年に3条刈バインダーHC75形を、42年には小規模農家向けの2条刈バインダーHC50形を発売。折しも米の収穫量が3年連続で史上最高を記録し、バインダー人気は一気に上昇しました。これに対応するため、栃木県宇都宮市の平出工業団地に新設したのが宇都宮工場です。
昭和44年5月に第1期工事が完成してバインダーの生産を開始し、45年4月には田植機の量産設備が竣工。さらに、46年に発売した前席乗用全面刈コンバインHX形が人気を博して需要が急増したため、49年2月にはコンバイン工場も開設しました。
日本万国博覧会に「クボタ館」を単独出展
創業80周年を迎えた昭和45年、大阪府吹田市の千里丘陵では3月から半年間にわたって日本万国博覧会が開催されました。当社は“豊かなみのり”をテーマに「クボタ館」を単独出展。館内に展示した「夢のトラクタ」は技術の粋を集めたもので、すぐれた機能性や快適な居住性、容易な操作性などは現在の製品にも活かされています。
このほか昭和45年には、FRP浴槽や浄化槽を生産するため滋賀県甲賀郡甲西町にビニルパイプ工場滋賀分工場を開設。また、米国の空調機器専門メーカーであるトレーン社と合弁で「クボタトレーン株式会社」を設立したのもこの年です。
初の海外トラクタ販売拠点をアメリカに設立
昭和42年に米国フォード社から小型トラクタのOEM供給を持ちかけられたことから、当社は自社ブランドによる米国市場進出を決断。現地ではガソリン機の要望が圧倒的に強いなか、当社はディーゼルの欠点を克服した多気筒・軽量・コンパクトなエンジンを完成していたためディーゼル機だけに絞って輸出をおこないました。
当社の小型ディーゼルトラクタは大型並みの性能と作業性が評価されて米国市場に定着し、昭和47年には2,000台以上の販売を達成。そこで当社は輸出のパートナーであった丸紅株式会社と合弁でカリフォルニア州コンプトン市に販売拠点となる「クボタトラクタコーポレーション(KTC)」を設立し、市場を大きく広げていきました。