GLOBAL INDEX 2011 KUBOTA CORPORATE COMMUNICATION MAGAZINE
13/48
1213水田に点在する墓や寺廟は、メコンデルタの典型的な風景でもあるホーチミン市を離れると、アオザイを着た女学生を見かけることも多くなる湖かと見間違うような広大な水田が、はるか地平線まで続くじびょう 紀から20世紀にかけてのフランス植民地統治時代である。さらに、ベトナム戦争終結以降に本格的に普及した2期作が米生産量を押し上げた。しかし2期作であっても“洪水期”には水田が使えなくなる。冠水する洪水期は4カ月ほどであるから、残りの8カ月を2回に分けて4カ月ずつで栽培、収穫するわけだ。しかしドイモイ以降、メコンデルタでは3期作が普及拡大した。自作農の増加によって生産意欲が増したことに加え、洪水期の浸水を防止するための“堤防”が建設されたことが3期作を実現した。地域の農地全体を囲むような、いわば“輪中(わじゅう)”とすることで、洪水期の栽培が可能となったのである。 メコンデルタは日本の穀倉地帯と似た風景だが、決定的に違うのは、2期作、3期作が行われているため、稲穂を実らせている水田、冠水して湖のような姿を見せる水田、あるいは種まき風景(メコンデルタは基本的に育苗による田植えではなく、種の直播による米作りが主流)など、異なった田園状況がエリアごとに展開していくことだ。さらに興味深いのは水田の中に中国風の寺廟があり墓がある。同行のベトナム人ガイド、グエン・ホン・ハプさんによれば「祖先に守られて米作りをする」ためというが、ベトナムでは、基本的に遺体は土葬することを考え合わせれば、魂を失った肉体は土に還り、その土に稲穂が実るという死生の連鎖を想起せざるを得ない。メコンデルタの人々にとって、米はまさに“生命”そのものなのである。 Chapter.1 [食] メコンデルタの豊穣 Ⅰ
元のページ