クボタが「環境問題としての水問題」に取り組んできた歴史は既に1世紀あまりになる。
明治初頭、文明開化で急速に人々の生活様式が変化する一方で、予備知識の不足や受け入れ体制の不備から、コレラ等の伝染病が流行し猛威を振い、多くの人々を死に追いやった。伝染病対策のための水道設備の整備は緊急を要していた。 
 その中、明治20年、ろ過した浄水を有圧で送水する近代水道が、わが国で初めて、開設される。主要資材である鋳鉄管の多くは英国などから輸入したものであった。
 外国に頼らず「外国人に出来ることが日本人に出来ぬはずがない」と鋳鉄管を国内でつくろうと決意し、事業を起こしたのがクボタの創業者久保田権四郎であった。クボタの水道事業の始まりである。以来、クボタは100余年の歴史を通じて、総合的な水関連事業に取り組んでいくことになる。
 昭和30年代の急激な産業発展と人口の都市集中にともない、河川や海の水質汚染が社会問題となった。クボタは昭和36年には水問題解決を図るべく中央研究所内に水道研究所を設けた。同研究所では河川水や地下水を浄化し、飲料水、工業用水に利用する研究、下水や産業排水の処理、し尿や都市ごみ処理の研究を開始。昭和37年には下水、し尿、産業排水処理施設など、水処理の事業化に乗り出す。
 40年代に入ると公害問題が深刻化する。クボタは44年、環境問題に取り組む姿勢を明確にし、企業スローガンとして「ゆたかな人間環境つくり」を掲げる。そして、水の高度処理技術および都市ごみ焼却炉技術を中心とした環境施設分野へ本格参入することになる。
 もともと鋳物、そして水道用の鋳鉄管からスタートしたクボタが農業機械・施設へと事業を拡大していたが、ここに至って、それらの事業分野と密接な関わりをもつ水質、環境保全のための技術を開発し、環境施設事業として展開していったのである。
 昭和50年代になると、湖沼や内海での富栄養化を防止するために独自のリン、窒素除去技術(循環ばっ気式硝化脱窒素法)を開発。また、下水処理で大量に発生する汚泥の処理システムも開発した。
 その後、上下水道プラント分野においては、高分子ろ過膜「液中膜」システムをし尿処理システムの高度化に向けて開発し、製品化に成功する。この液中膜システムは商業ビルおよび高層マンションの浄化槽向けとして既に普及しつつあり、また海外でも英国などでの下水処理施設にも導入され始めている。
 さらに、クボタは、このGI‐WEB2000〜2001でも紹介している、浄水処理・下水処理における高度化とその実用化、「水中ダイオキシン類分解装置」「水道管内調査ロボット」「汚水中継ポンプ無線監視システム」……など、「水のクボタ」にふさわしい数々の水処理技術・設備・システムを世に送り出している。
 水は貴重な資源である。いかに資源を節約するかが問われる21世紀において、「水の再利用・処理量の多さが文化のバロメーター」と言いたい。