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1890~1900年代

国産鉄管が生まれるまで

鉄管 バルブ

1905年頃のクボタ鉄管出荷場

コレラなどの伝染病対策として、政府は水道設備の整備を推進。大阪市では国産鉄管の採用を決定し、大阪砲兵工廠に鋳造を依頼するも製造は難航。水道の将来性、そして国益のために、鋳物工場を営んでいた創業者・久保田権四郎は水道用鉄管の国産化を開始します。

「外国人にできることが日本人にできぬはずがない」。強い信念が水道管国産化の道を拓く

当時、国内の水道管はすべて輸入に頼っていました。さまざまな企業が国産品製造を試みるも失敗に終わります。その理由は薄くて長い鉄管(直管)は鋳造時に厚さが偏りやすく、高い水圧に耐える品質を実現するノウハウがなかったためです。しかし、権四郎は「外国人にできることが日本人にできぬはずがない」という強い信念で試作と改良を繰り返すこと約4年、ついに「合わせ型斜吹鋳造法」を開発し、口径約10cmの直管の製造に成功。文献も経験者もない中、手さぐりで試行錯誤してきた技術が評価され、次第に鉄管の注文が増えていきます。

1893年、クボタは鉄管(異形管)の開発を開始。この4年後、直管の製造に成功する

「鉄管のクボタ」の誕生。新技術が水道管の国内量産を実現する

1897年、「合わせ型斜吹鋳造法」による直管の製造には成功しましたが、まだまだ生産性は低い状態でした。その後も研究と工夫を重ね、1900年に「合わせ目のない鉄管」を安定して製造できる「立込丸吹鋳造法」を開発すると、瞬く間に発注が増加。大阪市の水道拡張工事にクボタの鉄管が採用され、業界の注目を集めます。さらに1904年、鉄管の量産体制を可能にする「立吹回転式鋳造装置」を開発し、ついに国内初の水道管の量産がスタート。「鉄管のクボタ」として、当時数少ない国産鉄管メーカーの地位を確立しました。

型を取り付けた円盤を回転させ、鋳造を流れ作業で行う立吹回転式鋳造装置

近代水道普及の波に乗って、鉄管とともに成長した、もうひとつの水道用機材

上下水道をはじめ鉄鋼・石油・都市ガスなど幅広い分野に用いられ、液体・気体を問わず「流れを制御」する役割を果たしているバルブ。この製品とクボタの歴史は古く、その始まりは1897年ごろにさかのぼります。当時、クボタが水道用鉄管の開発に苦心していた頃、水道関連製品である仕切弁や消火栓を生産したことがバルブ分野の起源となりました。クボタの仕切弁は1907年以降、近代水道普及の波に乗り、主力の鉄管とあわせて水道用機材として採用。後のパイプシステム事業の一端を担うまでに成長を遂げます。

1940~1950年代

物資不足を乗り越え、
水道インフラの復興が進む

第2次大戦の空襲で国内90余都市が損壊しました。終戦後、GHQは衛生対策に力を入れ、水道施設の復旧作業が急ピッチで進められます。一方、国内では物資が不足し、各メーカーは復旧作業に必要な鉄管の生産に苦心しつつも、少しずつ復興は進んでいきます。

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1940~1950年代

クボタの水事業の原点。
水関連製品の展開がはじまる

鉄管 バルブ 合成管 ポンプ

ダクタイル鉄管の強度実験

水道設備の整備が進む中、水を流す鉄管の生産・改良を始め、鉄ではない素材を使ったパイプ、水の流れを生むポンプ、そして水の流れを制御するバルブなど、クボタは水に関する多様な製品を開発します。これが今日のクボタの水事業の原点となりました。

東洋で初の成果、金型遠心力鋳造技術開発に成功。鉄管増産体制を整える

都市の復興が進み、需要が回復してきた頃、クボタは鉄管の本格的な増産体制を整えます。1949年から「金型遠心力法」の開発を再開。これは従来の砂型遠心力法よりも外型を連続使用できるもので、1950年に「ドライスプレー法」と呼ばれる金型の内面に粉末フェロシリコンを吹き付ける方式で東洋初の工業化に成功します。この製品は同年に日本水道協会規格に認定され、戦後の都市復興に大きく貢献します。また、1952年には米国のU.S.パイプ社から「ウエットスプレー技術」を導入し、さらなる品質の向上を図りました。

金型遠心力鉄管のカタログ。海外展開を見据え、日英版を同時に作成した

新素材とクボタの努力が可能にした、大口径ダクタイル鉄管世界初の実用化

1948年、米国で業界を騒然とさせる新素材が開発されます。ダクタイル鋳鉄(DCI)と呼ばれるその素材は鋳鉄本来の耐食性も確保しつつ、鋼に近い強靭さを兼備。これは当時の日本で求められていた大口径水道管の実現に差し込んだ一条の光でした。クボタはいち早くこの新素材に着目し、研究を開始。予想以上の困難に直面するも、地道に研究を重ね、従来の「置注立吹鋳造法」にて水道管の鋳造に成功。1954年、阪神水道市町村組合に納入した口径1200mmと1350mmは世界初の実用化された大口径ダクタイル鉄管となりました。

阪神水道市町村組合に納入するダクタイル鉄管の出荷風景

合成管の開発に着手。パイプ総合メーカーを目指し、鉄以外の素材に取り組む

クボタの中核事業であった鉄管は、鋼管・塩化ビニル管など代替製品の台頭で次第に市場におけるシェアが低下します。塩化ビニル管は薬品腐食に強く、軽く丈夫で配管が容易という特性があったため、簡易水道や化学工場の薬液輸送の用途として急速に普及します。1954年、クボタはパイプの総合メーカーとなることを決め、塩化ビニル管など、鉄ではない製品の生産に着手。この年、東京都水道局が塩化ビニル管を採用決定したこともあり、需要はさらに急増。1955年には先発3社に伍して、一般工業用JIS指定工場の認可を受けました。

1号製管機で試作される塩化ビニル管

関西電力の飾磨港発電所に納入した750馬力ボイラー給水用タービンポンプ

水関連市場の拡大を狙い、ポンプの事業化。先発大手の強い市場で将来を切り拓く

1952年、クボタは水関連市場の拡大を目指し、ポンプ市場に本格参入します。1号機は関西電力の飾磨港発電所から受注した750馬力ボイラー給水用タービンポンプでした。しかし、当時のポンプ市場は官需・民需とも既に大手ポンプメーカーが先行しており、クボタは当時主流であったタービンポンプではなく、コンパクトなボリュートポンプの開発に重点を置き、技術・ノウハウ・実績を積み重ねていきます。後発のクボタの事業が軌道に乗るのは、都市人口の集中で大型ポンプの需要が高まった1960年代以降になります。

1950~1960年代

高度経済成長による近代化と
水道設備の大型化

1954年から1957年まで「神武景気」と呼ばれる好況が続き、日本の産業は技術革新と設備の近代化が進み、高度経済成長期へと突入。水道設備の整備も急ピッチで進められ、それを支える資材や製品のニーズが高まると同時に、業界の動きも活発化します。

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1950~1960年代

遠心力鋳造でダクタイル鉄管の
大口径化と量産化に挑む

鉄管 バルブ

遠心力鋳造法で製造されるダクタイル鉄管

水道の普及率が上がるにつれ、その施設もまた大型化していきます。より多くの水を送り出すために、水道管の大口径化が求められるようになります。ダクタイル鉄管の製品化に成功したクボタが次に挑んだのは、大口径化と量産化を可能にする遠心力鋳造法でした。

ダクタイル鉄管の遠心力鋳造に成功。大口径化と量産化を実現

1954年、クボタは「置注立吹鋳造法」により、ダクタイル鉄管の製品化に成功しましたが、長尺薄肉の大口径管の製造と量産化には、やはり遠心力鋳造が必要でした。ダクタイル鉄管の遠心力鋳造にはさまざまな要素が複雑に絡み合い、研究は難航。しかし、そのひとつ一つを分析・対策することで、ついに1956年「サンドレジン法」を開発。硅砂とフェノール樹脂の混合物を内面に焼き付けた金枠で鋳造する独自のシステムは大口径の遠心力鋳造でのダクタイル鉄管の生産を可能にし、高度経済成長期の水道普及化の一翼を担うことになります。

サンドレジン法によるダクタイル鉄管の遠心力鋳造作業

管の大口径化を可能にしたもうひとつの技術。画期的な改良メカニカル継手の開発

管の大口径化を実現したもうひとつの要素がそれらをつなぐ継手の改良でした。従来の印ろう形継手(C形)は施工に熟練と時間を要したため、クボタは1954年、米国開発のメカニカル継手(A形)を国産化。1960年代には大口径管継手の水密性を高めた改良メカニカル継手(K形)、東京都水道局の指導のもと世界初の内面継手(U形)を開発。シールド内や狭開削溝内の配管が可能となり、工事の合理化を実現しました。これらの改良は1964年に口径2400mm、1971年には2600mmという特大口径管の製品化へと導きました。

特大口径2200mmダクタイル鉄管の配管工事

民需用バルブの新市場として電力・鉄鋼用バルブに進出

日本の産業が発展を遂げる高度成長期の初め、クボタは民需用バルブの新市場として、電力用や鉄鋼用バルブに進出します。1975年、当時国内最大口径である4000mmの海水用バタフライ弁を関西電力へ納入。また、製鉄用については、1959年、熱風炉切り替え装置の国産化に成功。この装置は高炉に吹き込む熱風の流量を自動制御するプラントで、鋼板製熱風弁とともに全国の新鋭製鉄所に採用されました。当時、鉄鋼用バルブは水道用バルブと同様、バルブ事業を支える重要な柱のひとつとなり、その用途の拡がりを見せていきます。

製鉄所用の熱風炉切り替え装置

1960~1970年代

続く空前の好景気。
発展する重化学工業

高度経済成長による空前の好景気は、技術革新と重化学工業の発展をもたらします。石油・鉄鋼・エネルギーなどの分野でも大規模な設備投資が行われ、水や原料を送るためのパイプ・バルブ・ポンプなどの需要が増加。また、その用途も多様化していきます。

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1960~1970年代

重化学工業を支え、
多様化するバルブ・ポンプ

バルブ 合成管 ポンプ

九州電力に納入した海水循環水用ポンプの試運転風景

主に水道用として開発されたクボタのバルブ・ポンプですが、重化学工業の発展とともにその製品は多様化。石油・鉄鋼・エネルギー分野という新市場に進出していきます。そこで培った技術が海外でも広く認知され、その事業は海外へも展開していきます。

石油精製プラント向けバルブの生産開始。海外各地にも納入

戦後は水道や都市ガス施設の復旧用のほか、政府の食糧増産政策による化学肥料工場向けの需要が中心であったクボタのバルブ事業は、高度成長期を迎えて大きく飛躍します。国内では旺盛な設備投資と技術革新が進んで重化学工業が発展し、石油製品の国産化が実現しました。それを機に、クボタはエネルギー市場へ進出するため、1970年、石油精製プロセスにおける流動床式接触分解装置(FCC)用のスライドバルブ・プラグバルブを枚方製造所で開発。国内向けにとどまらず、フランスやソ連をはじめとする海外各地にも納入します。

1970年に開発した、石油精製プロセスにおける流動床式接触分解装置

水道用バルブ技術の向上。高い技術が認知され、海外からも受注が相次ぐ

水道用バルブは多様化し、バタフライ弁やスリーブ弁が普及し始めます。1971年に、流量や圧力の制御特性に優れたスリーブ弁を南カリフォルニア水道局に初納入。1972年にはニューヨーク市水道局より、第3水道トンネルの制御を行うステンレス製メタルシートバタフライ弁を受注します。この製品は寿命100年を考慮する必要があり、試行錯誤を重ね、納入を完了。このとき得たノウハウを活かし、水道用のダクタイル製メタルシートバタフライ弁を開発します。仕切弁とバタフライ弁の長所を兼ね備えたこのバルブは水道用バルブの一分野を切り拓きました。

ニューヨーク市水道局に納入した口径2400mmステンレス製メタルシートバタフライ弁

多様化する塩化ビニル管の普及に大きく貢献したクボタのパイプ技術

当初、水道用に開発された塩化ビニル管は、軽量で施工しやすい製品だったことから、工業・農業・建築用など他分野へも急速に普及。クボタは継手の改良などにより、業界の先導役としてその地位を確立します。しかし、用途の拡大とともに、高度な接合機能や簡便な作業性が重視されるようになりました。この要請に応えるため、クボタは欧州で開発されたゴム輪接合方式を改良。特に、下水道本管用として1975年に開発されたパイプは接合部内面の段差がなく、汚物類の滞留防止を実現。日本下水道協会規格に認定され、業界の主流となります。

公共下水道本管の主流となった塩化ビニル管SGR-C型

水源の遠距離化。下水道整備計画。大型化する官需用ポンプ

都市部の人口増加に伴い、上水道・工業用水道の水源を都市近郊に得られなくなり、送水距離が伸びたため、大口径・高揚程のポンプが求められます。クボタはこの要請に応え、1970年当時、国内最大級の3,100kW両吸込うず巻ポンプを静岡県企業局に納入したのを皮切りに、大型ポンプの受注が相次ぎます。また、第3次下水道整備5ヵ年計画の策定以降、下水道・雨水排水用ポンプも大容量化。京都市伏見処理場への立軸うず巻斜流ポンプの納入や、広範囲の水量変動に対応できる可動翼ポンプの開発など、着実に実績を積み重ねます。

静岡県企業局に納入した、当時国内最大級の3,100kW両吸込うず巻ポンプ

重化学工業の発展。海外との技術・業務提携。多様化する民需用ポンプ

高度経済成長下における重化学工業の発展により、石油・鉄鋼・エネルギー分野でポンプの需要が増大。クボタの民需用ポンプは高炉建設が進む鉄鋼向けを中心に、1971年に住友金属工業へ納入した、当時最大級のデスケーリング用高圧ポンプをはじめ、鉄鋼関連の主要ポンプを多数製作します。エネルギー関連では、1970年に西ドイツのハルベルク社と火力発電プラント用ボイラー給水ポンプの技術提携、1973年には米国ビンハム社と原子炉軽水再循環用ポンプに関する業務提携を締結し、市場拡大を図るなど、製品の多様化が進みます。

住友金属工業へ納入したデスケーリングポンプ

1990年代~

自然災害に備えた
社会インフラの整備

地震大国である日本は常に大地震の脅威にさらされています。近年では、1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震などで甚大な被害を受けました。これらを受け、水道などの社会インフラの地震対策が急務となっています。

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1990年代~

ニーズの変化を的確に捉え、
頼れるライフラインを提供

耐震型ダクタイル鉄管 耐震バルブ ポリエチレン管 雨水排水用ポンプ

高い耐震性能が評価され、ロサンゼルスにて施工されている耐震型ダクタイル鉄管「GENEX」

クボタはかねてより地震対策に取り組み、耐震継手の開発や耐震管路設計の技術を確立してきました。過去の大地震でも高い耐震性を発揮し、重要なライフラインを守り、生活基盤の迅速な復旧に貢献しました。その性能は日本だけでなく、海外からも注目を集めています。

「管路の100%耐震化」を目指して。耐震型ダクタイル鉄管

活断層が網の目のように拡がる日本では、東日本大震災規模の大災害に備え、重要なライフラインである水道管路の耐震化は急務。クボタは1974年に世界初の耐震型ダクタイル鉄管(S形)の開発に成功。継手部が大きく屈曲・伸縮することで地震時等での地盤の変位を吸収し、管の離脱を防止する構造となっている。2010年には高い耐震性を有しながら、施工性を大幅に向上させた上、100年という長寿命を実現した「GENEX」(GX形)を開発。これら、クボタの耐震型ダクタイル鉄管は1995年の阪神・淡路大震災をはじめとする過去の大地震においても一切被害がなく、優れた耐震性が実証されています。

継手部が大きく屈曲・伸縮し、離脱を防止する耐震型ダクタイル鉄管

管路耐震化の決め手となる、新たな耐震バルブ

水道管路の耐震化には、水道管だけではなく、水の流れを制御するバルブも重要な役割を果たします。クボタは水道用バルブの主流である仕切弁についても、継手を耐震化したことで、水道管路全体が一体化した耐震管路の構築が可能となりました。耐震バタフライ弁・耐震ソフトシール仕切弁は、止水性能に優れている上、地震等での地盤の動きへの追随性が高く、管路から離脱しない構造となっています。水道管路耐震化促進の一助となるべく、改良を重ね、製品ラインアップを増やしています。

高い耐震性と防食性を兼ね備えたGENEXバタフライ弁 BU-AG形

ポリエチレン樹脂の耐震性に着目し、水道配水用ポリエチレンパイプを開発

1995年に発生した阪神・淡路大震災の甚大な被害は、様々な社会インフラの耐震基準を見直す契機をなりました。その被害調査の結果、埋設管の中でガス用ポリエチレン管に被害がなかったことから、クボタはその耐震性に着目し、高密度ポリエチレン樹脂を採用した水道管を開発。翌年、水道配水用ポリエチレンパイプ「スーパータフポリ」を発売します。

近年増加するゲリラ豪雨。迅速な対応のカギとして開発された多彩なポンプ製品

近年、都市部でのゲリラ豪雨などの自然災害の被害が顕著となり、地震以外にも防災への意識やニーズが高まっています。クボタは集中豪雨時の迅速な排水を実現するため、1980年代に市場投入していた先行待機ポンプ「Hu-BOMBA」の起動性を大きく進化させた雨水排水用ハイブリッド型先行待機ポンプ「Hu-BOMBA MAX」を2009年に開発。さらに、災害復旧用排水ポンプ車を市場に投入。ポンプの大幅な軽量化を進め、大水量の排水と可搬を両立させた超軽量ポンプを開発し、排水活動範囲の拡大と排水開始までの時間を大幅に短縮することで、浸水被害の危険性低減を実現してきました。

気水混合運転と気水切替運転の2つの方式で運転できる「Hu-BOMBA MAX」

世界に誇る日本の水道インフラを支え続けるクボタの技術力

現在、日本では高度成長期に建設した水道施設の老朽化が進み、維持管理や更新、耐震化等、様々な課題が山積しています。クボタは新製品開発や新技術開発によるハード面からの課題解決はもとより、最新の情報通信技術を活用したクボタIoTソリューションシステムを通じたソフト面からも、これらの課題解決に貢献していきます。クボタは創業以来120年以上にも亘り培ってきた技術力で、これからもずっと日本の水道インフラを支えていきます。