Kubota People

クボタピープル

※掲載内容は取材当時のものです。

日・米での経験を活かし
高品質な製品を
市場に届けていきたい

GLOBAL INDEX September 2014
降旗 あづさ
Azusa Furihata
株式会社クボタ 農業機械総合事業部
農機技術本部 汎用技術部

入社当時からの希望が叶うまでの日々

11歳までアメリカ・ロサンゼルスで育った私は、帰国後も再びアメリカで教育を受けたいという思いがあり、修士課程の1 年目にアメリカの大学に交換留学しました。そこで、研究者を養成する環境の良さを目の当たりにしました。私もこの恵まれた環境で研究に没頭することができました。帰国後、海外で広く事業を展開しているクボタなら、留学した経験を生かすチャンスもあるのではないかと入社を決意しました。
入社して3 年間は乗用芝刈り機の研究業務、設計業務に携わりました。入社した年、ちょうど製品のフルモデルチェンジが終わったばかりで、入社してすぐに私が担当したのは製品として出荷する最後の詰めの業務。この時人生で初めて海外法規に携わりました。その後は製品のマイナーチェンジの業務を担当し、座り心地の改善や、レバーの操作性の改善、改正された法規の対応を行いました。乗用芝刈り機は日本では馴染みのない製品。配属されたチームは担当する機種が多く、私はここで大・小さまざまな種類の製品や部品に関わる改善対応をすることで、一つひとつ自社の乗用草刈り製品への理解を深めていったのです。
「より良い製品をつくりたい」その一心で、開発に没頭しました。製品開発する技術部は日本、製造はアメリカ・ジョージア州にあるクボタマニュファクチュアリングオブアメリカコーポレーション(KMA)で行っていましたから、私は製造の現場も知らず、製品の「変更通知書」※をたくさんKMA に発行していました。その後、自分が通知書を「受け取る側」になるとも知らずに……。
入社して4 年目のある日、上司から呼ばれ、KMA の駐在員に任命されました。いわゆる中堅社員が赴くのが通例の中、まさかまだ経験の少なかった私にチャンスが巡って来るとは――。こうして私は念願の「アメリカ駐在」の切符を手に入れたのです。※ 変更通知書:技術部から製造部に向けて送られる、製品にかかわる部品変更を通達する書類。この通知書をもとに、製造部では部品の在庫や製造ラインの状況に応じた対応が求められる。

アメリカ駐在中、オンは仕事にまい進し、オフの時にはアメリカの観光スポット巡りを楽しんだ。

駐在時代の経験と日本での新たなチャレンジ

KMAに配属された私は、PE(プロダクト・エンジニアリング)というモノと情報の受け渡しをする、いわば「日本の開発」と「北米の製造」の、「つなぎ役」の部門のコーディネーターを務めました。
私の業務は新製品の生産に関わる書類や部品の受取・保管、生産過程で起きる問題への対応であり、その中で多くのウエイトを占めたのが、私が日本で数多く発行していた「変更通知書」の対応でした。発行する技術部と製造工場は大陸をまたぎ、さらに部品の調達も海外で行うものもあるので通知書の内容によっては記載通り、期日通りに対応できないものが出てきます。その際内容を把握して対応する優先順位づけが必要なのです。新製品の受け入れ準備をしながら生産製品の対応をしていく。私のアメリカでの3 年間の任期は、アッという間に過ぎました。それは、常にカレンダーとにらめっこしながら業務をこなしていくスリリングで充実した毎日でした。
アメリカでの仕事を通じて感じたのは、仕事に対する想いに国境がないということ。確かに、働き方一つひとつを取り上げればその進め方、考え方には違いがあります。しかし、自社製品を喜んで使ってもらえると嬉しい、より良い製品をユーザーに届けたいという想いは万国共通でした。
海外駐在を終えて帰国した私には、新たな業務が待っていました。それは製品のフルモデルチェンジ。今は「開発」「製造」の双方からモノを見ることができます。経験を積んでこの業務の担当になれたことは、幸運だったかもしれません。
クボタは、若手社員にチャレンジをさせてくれる会社です。私は、駐在中にクボタ製品を使用しているエンドユーザーやディーラーが自信たっぷりに製品を自慢している様子を見ました。そのイメージは今でも頭の中に明確にあります。彼らが喜ぶような、さらに自信を持てるような製品をつくりたい―――私にとって、このプロジェクトの出発点はそこにあります。