GI JOURNAL
July 2017

豊島廃棄物処理
プロジェクト

現代社会の歪みが生んだ、豊島産業廃棄物不法投棄現場。その完全修復へ向けてクボタは、約15年間走り続けてきた。その軌跡は、単なる廃棄物処理に留まらず、循環型社会・持続可能な社会のあり方を広く世の中に投げかけるものだった。

高台から見下ろした不法投棄現場の全景。

Introduction

豊島は瀬戸内海に浮かぶ風光明媚な小さな島である。この島に、1980年代のおよそ10年間、大量の産業廃棄物が持ち込まれ不法投棄された。いわゆる「豊島産業廃棄物不法投棄事件」である。

1997年、香川県は廃棄物処理無害化の方針を打ち出し、豊島から約5km離れた直島で廃棄物を処理する案を採択。処理技術は一般公募されたが、最終的にクボタが2000年に1社入札で採用された。そこにあったのは、「誰かが豊島を元に戻さなければならない」という、クボタの社会的使命の自覚と志にほかならなかった。廃棄物処理の核心部分である溶融炉を含む中間処理施設は2003年に稼働。以来15年にわたって廃棄物処理を進め、2017年6月に豊島の廃棄物処理は完了した。だが、不法投棄された現場の「完全修復」が達成されたわけではない。廃棄物処理終了と同時に、不法投棄現場の「地下水浄化」という新たな取り組みが始まっている。

多くの社員がこのプロジェクトに関わってきたが、ここでは2003年の稼働当初から廃棄物処理に取り組んできたクボタ環境サービス㈱の後藤謙治と、「地下水浄化」を担当する同社の森英信を通して、大きな節目を迎えた豊島産業廃棄物処理におけるクボタの奮闘の軌跡と今後の展望をレポートする。

「循環型社会のモデル」「徹底した情報公開」「共創」。
負の遺産から生まれた時代へのメッセージ。

豊島における産業廃棄物処理の取り組みは、正式には「豊島廃棄物等処理事業」という。この処理事業が極めて画期的だったのは、処理を開始するにあたって掲げられたコンセプトにある。その基本は、従来の廃棄物処理に見られた新たな埋め立てを必要としない処理生成物の全量資源化だ。すなわち、豊島廃棄物を資源として再生させ、我が国が目指すべき循環型社会に資するモデルとすること。そのプロセスにおいて安心・安全な処理を継続的に遂行することは言うまでもない。さらに、リアルタイムの運転データとトラブル情報を、インターネットを通じて一般公開する徹底的な情報公開を必須とした。加えて、住民、自治体をはじめとした関係主体が参加・協働して問題を解決していく「共創」の理念を掲げた。前代未聞の「社会的実験」と称された豊島廃棄物等処理事業は、これらコンセプトを踏まえて開始されたのである。

だが、事業を担う主要施設の建設とその施設の運転を受注したクボタの前に立ちはだかるのは約60万トン(当時推定、後に約90万トンと判明)にのぼる、複合的な汚染にさらされているとされた正体不明の廃棄物。それらの全量資源化実現は、未踏の領域への挑戦だった。

処理技術の一般応募に対して他社の多くが応札を辞退したのも、厳しい性能審査や厳格な情報公開ルールに加えて、「何が埋まっているかわからない」というリスクの高さからの判断でもあったのだ。そのリスクを承知でクボタが入札したのは、企業の社会的使命の自覚と志に加えて、廃棄物処理の新たなスタンダードをつくるという強い意欲があったからにほかならない。

海上から望む豊島の不法投棄現場。中央の建物がようやくその役割を終えた廃棄物の中間保管・梱包施設。
「どこに何が埋まっているのかが分からない」という現場を象徴するように、廃棄物を撤去した生々しい跡が今も残る。

国内最大規模の回転式表面溶融炉の開発。
溶融炉が可能とする処理生成物の再資源化。

後藤 謙治
クボタ環境サービス(株)
香川直島JA事業所
豊島KS事業所
総括所長

後に総括所長として処理事業の主要施設の運転の全責任を担うことになる後藤謙治は、クボタの処理技術採用が決定した2000年、当時の環境施設事業本部環境研究部に在籍していた。1995年の入社以来一貫して溶融炉の研究に従事、溶融炉に関する知見を着実に積み上げていた時期である。採用されたクボタの処理技術の中核となるのが、中間処理施設に設置される国内最大規模の回転式表面溶融炉2基。そして、受注とほぼ同時に後藤をはじめとした環境研究部のスタッフの多くが、長期安定運転可能な国内最大規模の溶融炉の開発に着手したのである。

「不法投棄現場調査の情報をもとに、それら廃棄物処理においてクリアすべきテーマを掲げ、想定される溶融炉のリスクを一つひとつ潰していく作業を進めました」。

ここで溶融炉について付言しておきたい。かつて我が国の廃棄物・ごみ処理のプロセスは、ごみ焼却炉に代表されるように「焼却」「埋め立て」という流れが主流であった。「焼却」はごみの減容化に資したものの新たな問題が発生した。その一つが焼却に伴い発生する有害物質ダイオキシン類であり、また「埋め立て」による最終処分が持続的な社会の実現に逆行するという指摘もあった。一方、「溶融」は従来の廃棄物・ごみ処理のあり方を大きく変えるものだ。「焼却」のカテゴリーであるものの約1200度以上の高温であることから、ダイオキシン類は分解され無害化が図れる。残渣や灰は溶融炉内で高温になり液状化し、最終的には冷却され溶融スラグとなり資源として再利用が可能となる。すなわち、安全・安心な処理、処理生成物の全量資源化実現のために、溶融炉は必須のものだったのである。

ちなみに、豊島の廃棄物は処理期間を通じて全量資源化が達成されている。溶融スラグは破砕選別により銅やアルミ等の金属を回収した後、コンクリート骨材などの土木材料として資源化し、排ガス処理で発生する溶融飛灰は、非鉄精錬工程に送り、鉛や亜鉛等の重金属を回収している。

廃棄物の全量資源化の要であった国内最大規模の回転式表面溶融炉。
直島の中間処理施設で生成されたスラグ。コンクリート骨材などに再利用される。

溶融炉安定燃焼のために求められた
「廃棄物均質化」という課題。

豊島に不法投棄された産業廃棄物は、実に様々なものが埋まっている状況だった。シュレッダーダスト(廃車や廃家電等工業製品の破砕屑のことで、ゴム片、プラスチック片、金属片、ウレタンシート、銅線等を含んだものである)、タイヤ、ドラム缶、鉄筋類、鉱滓、汚泥……。これらをどのように適正に処理するか。廃棄物処理は、単にそれらを「溶融」すればいいというものではない。

「多種多様な廃棄物が存在するということは、性状のバラツキが大きいことを示しています。いかに廃棄物の均質化を図るかが、安定的な溶融炉稼働のために必要なことでした」。

後藤が言う廃棄物均質化は処理事業を通じて最大のテーマの一つだった。ここで大前提として指摘しておきたいのは、「溶融炉」にせよ「焼却炉」にせよ、国内いずれの処理現場でも廃棄物・ごみの均質化作業が行われているということだ。「よく燃える」「よく燃えない」状態が交互に頻発することは炉の安定稼働に多大な影響を与え、故障・トラブルを誘発することになりかねない。したがって、常に廃棄物の均質化を見極める必要があった。

「助剤を加えて均質化することで適正な溶融温度を保つことができます。しかし、目の前にあるのは多種多様な廃棄物であり、さらに掘削すれば何が出てくるかわからない状況。一般の焼却炉や溶融炉とは異なり、安定的に均質化するには、常に試行錯誤を繰り返す必要がありました」。

一刻も早い廃棄物処理、一刻も早い完全修復は住民の願いであり、また処理事業に投入される資金は公金でもある。「豊島廃棄物等処理事業」は香川県の事業であり、香川県は豊島住民と「公害調停」を進め、廃棄物処理の最終合意に至っている。クボタは香川県から主要施設の運転を任されており、クボタには先述したコンセプトを実現しつつ、最善にして最速の廃棄物処理が求められていた。そのためには「掘削を止めない、溶融炉を止めない、汚染水処理を止めない(※汚染水処理については後述)」、その不断の実現こそが、後藤らの究極のミッションだったと言っていい。だからこそ、溶融炉のトラブル発生を抑止する廃棄物の適正な均質化が求められたのだ。たとえばそれは、よく燃えるシュレッダーダスト主体の廃棄物と燃えにくい土砂主体の廃棄物を分析して助剤の混合割合を決定、均質化するといった作業である。これら均質化された廃棄物は、豊島から直島へ海上輸送され、中間処理施設で溶融処理が日々行われていった。

「掘削の進捗によって廃棄物の性状も変わってきます。その性状変化を的確に把握し、最適な均質化を実現すること。振り返れば、その作業が最も重要でしたし、力を注いだことの一つでした」。

写真左:廃棄物処理前の2003年4月撮影時、写真右:廃棄物処理完了後の2017年6月撮影

トラブルを極小化し溶融炉の運転を止めない。
溶融炉稼働日数をいかに拡大するか。

後藤は2005年から溶融炉整備担当となり常駐、家族を残して直島に移り住んだ。2009年には所長となり、廃棄物処理の全責任を担うこととなる。その際、後藤が自身のテーマとして課したことがある。

「溶融炉の運転を止めないというプレッシャーは大きなものがありました。一般的に、熱が発生するプラントにおいてトラブルは付きものであり、トラブルを折り込み済みとして計画は立てられます。しかし、直島のプラントにおいては、トラブル発生の極小化が求められました。トラブルが発生し炉が止まることがあれば、情報公開の必要がありますし、そのこと以上に処理進捗に遅延が発生します。ヒューマンエラーをはじめとしたトラブル発生の極小化を進める一方で、私が力を注いで取り組んだのが溶融炉稼働日数を増やすことであり、そのための定期メンテナンスの短縮化です」。

溶融炉は当初数年、年間溶融処理日数は300日前後だった。一回の定期メンテナンスがおよそ2~3週間、それが一年に4回必要とされたことによる。この定期メンテナンスを低減していくことを、後藤はテーマとした。では、そのために何が必要か。

「設備改良でした。溶融炉安定稼働における課題を抽出してそれを一つずつ解決していくという、地道な取り組みを進めていったのです」。

たとえば、溶融炉における大きな課題の一つとしてダストの問題がある。炉内におけるダスト付着は、排出部閉塞など溶融炉の円滑な運転に支障を来たしかねない要素をはらんでいるのだ。たとえばボイラーダスト排出部。ダスト付着や閉塞による排出不良を改善するため排出羽根の形状や冷却機構等を変更した。あるいは二次燃焼室の壁面付着物に対しては、散水による付着物除去装置を設置した。こうした様々な設備改良の効果は絶大なものがあった。年4回必要とされた定期メンテナンスは、最終的に年1回まで低減。それに伴い、年間溶融処理日数は330日前後までに拡大したのである。並行してトラブルの発生も漸減していった。この取り組みが、豊島住民の想いに応える廃棄物処理のスピードアップにつながったことは言うまでもない。

社会貢献へのやりがいを実感した12年間。
溶融炉から環境のスペシャリストへ。

「ゆっくり海を眺めることなんてほとんどなかった(笑)」と語る後藤。走り抜けた16年間を回想するように直島の海岸に佇んでいた。

後藤は溶融炉開発から数えると16年間、直島に常駐して12年間、豊島の廃棄物処理に関わってきた。直島に単身赴任した時、小学低学年生だった愛娘は大学生になった。決して短くない時間を費やし、豊島の廃棄物処理に深く関わってきた。日本中の注目を集めてきたプロジェクトであるが、後藤にはその当初から、特別の気負いはなかった。「やるべきことをやる、できる限りのことをやる、着々と粛々と」。それが後藤の基本スタンスだった。だから、廃棄物処理終了がプレスに発表された際、直島に多くの報道陣が駆けつけたが、そのことに驚いたほどだった。携わる仕事の社会的意義は認識していたが、本人の中では特別なことに関わっている意識は、少なくとも表層的にはなかったのである。だが、その短くはない月日を振り返って、後藤は言う。

「幸せな時間だったと思います。やはり、直接的に社会貢献に資する取り組みでしたから、やりがいは十分に感じました。近く、溶融炉は解体されるのですが、それが終了したとき熱いものが込み上げるような気がします。この溶融炉、自分の子供のようなものでしたから。中々言うことを聞いてくれなかったですけどね」。

深夜電話が鳴ると、溶融炉に何かしらのトラブルが発生したのではと、緊張が走る日々だった。そんな夜からも解放された今、後藤は、豊島の廃棄物処理の経験を踏まえ、今後各地域における環境問題にオールクボタで取り組んでいきたいと言う。

「今まで培ってきたクボタの熱と水の技術・知見をフルに活用し、たとえば、環境負荷を最小化したコミュニティの創造など、新たな取り組みに挑戦していきたいと考えています」。

溶融炉のスペシャリストは、環境のスペシャリストへと進化を開始している。