GLOBAL INDEX 2012 KUBOTA CORPORATE COMMUNICATION MAGAZINE
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27水にさらされてきた。過去10年を見ただけでも、犠牲者100人を超える洪水は10年間で30回近くも発生しており、その頻度は増加傾向にある。さらに過去に遡れば、犠牲者が400人以上を超える大洪水は1983年、1995年(奇しくも阪神淡路大震災の年)にも起き、洪水はバンコクにも及んだ。 こうした状況に対してタイ政府も手をこまねいていたわけではない。ダム建設を進め(※4)、北部からの洪水流に対してバンコクを守る外周堤“キングスダイク(王様の堤防)”を設置し、排水路や水門の整備などの策を講じてきた。しかし、2011年は“想定外”の大雨だった。タイ国内の大部分のダムは、10月初頭の段階で貯水可能な容量の限界に達していた。そのため、下流の洪水をさらに悪化させる可能性がありながら、ダム決壊を回避するため放水量を増加させねばならなかった。それが大洪水の引き金となった。また、かつての洪水では広大な水田が貯水池として働く自然の防御があった。しかし、こうした水田や湿地の一部は、タイ政府が急ピッチで進めた工業団地や住宅地へと変貌し、保水能力は大きく低下していた。また、洪水が数カ月に及んだのは、タイの地形やチャオプラヤ川そのものの特徴にも起因している。川の勾配は極めて緩やかで(※5)、水は非常にゆっくりと流れることも洪水長期化の要因の一つだった。※2:※3:※4:※5:国連・国際防災戦略=ISDR発表「ラニーニャ現象」は異常気象ではなく周期的に発生するものであるが、近年は頻発しており地球温暖化との因果関係も指摘されている農業用水として乾季に備える目的もある北部のアユタヤとバンコクの標高差は2mしかない家や電柱も水に浸かった(ノンタブリ県サイノイ村)市場からの排水の様子(パトムタニ県ラックホック付近)水の後が残る世界遺産の涅槃像(アユタヤ県ワット・ローカヤースッター)浸水した当時のナワナコン工業団地内浄水場冠水した農地(ノンタブリ県サイノイ村)

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